丘の上だより
(第1信から第50信まで)

by Michiko
第一信
トマトのつもりで買った苗が実はミニトマトだったこともあって、去年はミニトマトがたくさん収穫できました。今年も種を買ってきて蒔いたのですが、例の機械を使って畑に戻した場所に蒔いたせいか、芽は出たものの小さいうちにほとんど消えてなくなってしまい、今年はミニトマトは食べられないなあ、とあきらめていました。
今日、レタスを移植しようと畝の前にかがんだ途端、あれ?トマトのにおいです。ああ、そういえばここは去年ミニトマトを植えていた畝だったなあ、そんなに長くにおいがのこるのかなあ、と不思議に思いつつ草を刈ってると、えっ?何これ?、目の前にトマトの苗があるではありませんか。しかも、ここにもあそこにもという感じでたくさんあるんです。あっ、そうか!と思い当たりました。去年のミニトマトの実が落ちて朽ちたものから芽が出たんです!植物の生命力ってすばらしいですね。人間が何も手を貸さなくてもちゃんと子孫を残しているんですね。と、感心しつつ、今年もこれでミニトマトがたくさん収穫できそうだとほくそえんだのでした。


自然に発芽して草の間に埋もれて成長したミニトマトです。こんなこと農業をしている人にとってはめずらしくもなんともないんでしょうが、私は来年またこの光景を目にしたとしても今年と同じように感激したいものだと思います。



第二信
この夏の反省。というと本当に一杯あって書ききれません。大型機械で拓いた畑がだめで、種が発芽してもしばらくすると消えてなくなってしまい、その後あわてて別のところに蒔きなおしたけれど、なかなか思うように収穫できなかったこと。トマトに花は咲いても実がつかなかったこと。古代米は黒米は大きくなったけど、赤米は成長が悪くて(同じ畑なのに何故?)ほとんど収穫は見込めないこと。etc.etc...
一体全体何故?理由はいろいろあると思うのです。でも、深く追求しません。あるものをあるがままに受け止めて(これこそ私の得意とするところなので)、なるようになる、これが自然が私に与えてくれた恵みだからと感謝しています。
自然農をやってよかった、と思っています。負け惜しみでなく。たくさんお給料をくれる大企業を惜しげもなく辞めてしまって収入の見込みもない自然農に飛び込んで、周りの人はあきれていたけど、でも私は本当に幸せだと思っています。干からびるんじゃないかと思うほど汗を流す瞬間、うるさいほどの鳥の泣き声に耳を覚まされる瞬間、思いがけない自然の恵みにハッとする瞬間、その瞬間瞬間にお金には代えられないものを手に入れたと感じています。そしてそんな私を応援してくれているみなさん、本当にありがとう!


黒米の穂です。これを見つけた瞬間にも私は感激で涙が出そうになりました。来年もきっと“ガラスの腰”にムチ打って田植えをし、草刈に精を出す私がいると思います。



第三信
義母が亡くなりました。まだあまり実感がないのですが。
お葬式の翌日、久しぶりに畑に行ったらスイカが大きくなっていたので(私の目には)収穫して祭壇にお供えしました。「美智子さん、これがスイカな!? まあっ、小さかと!」とケラケラ笑う義母の顔が見えるような気がしました。これが現実だったら私は2、3日ムカついていたところですが・・・。そして人見知りしない義母のこと、天国でもすぐにお茶飲み仲間を見つけて、「うちの美智子さんはな、こーげなちいーっかスイカば作りますとバイ。」とかなんとか言いながら、お仲間と畑を見下ろして楽しそうに笑っていることと思います。


先日「今日の畑の様子」でお伝えしたスイカはあまり大きくなりませんでしたが、そのときは見つけきらなかったのがあと3個あって、これが一番大きい物です。短い方の直径が15cmくらい。でも、とっても甘くておいしかったんですよ。来年は豊作です、きっと。



第四信
MICHIKO FARMはアケビの成るような小高い丘の上にあります。今年の春聞いた「地球村」の高木さんの講演によると、温暖化のため20年後には海抜5メートルまでの陸地は全て水没するそうです。このとき、良かった!MICHIKO FARMは間違いなく5メートル以上はあるから、自宅は水没しても畑は残る、と自分のことしか考えない私はホッとしたのです。ところが、やはり20年後、オゾン層の破壊がピークに達して、有害紫外線のため植物は何も育たなくなるそうです。なんてこった!MICHIKO FARMだけでなく、世界中の畑は風前の灯火・・・。今、なんとか手を打たなくては。みんながそのことに気づいて自分にできること、小さなことからひとつずつ始めなくては。そうしないと世界中の人間は餓死することになる・・・。ひょっとしたら、その方が地球が甦るためにはいいのかもしれないけれど・・・。
とりあえず、戦争なんかしてる場合じゃないのになあ、とか思いながら、私は、1.自然農を実践する。2.洗剤は使わない。3.買い物袋を持参してビニールの袋はもらわない。etc. を実行しています。2と3は誰でも今すぐできることですよ。特に2は家族の健康に直結しています。皆さんもやってみませんか?


こんなアケビのなる環境をいつまでも守りたいと思います。



第五信
写真は「ツワ」の花です。今、畑へ行く道すがらにも、自宅の庭先にもたくさん咲いています。でも不思議なことに私がこれが「ツワ」の花だと気づいたのは自然農を始めてからです。この土地に住むようになって二十数年もたち、これまでにも秋になるたびにきっと目に付いていたはずなのに。庭先の花に目をとめるゆとりもなかったということでしょうか。
自然農を始めて少しずつ心が豊かになった気がします。野の花に心を留めることができるようになりました。野の花からたくさんの安らぎや暖かさを貰うこともできるようになりました。
「自然農」ってほんとうに不思議です。やればやるほど奥が深くて単なる「農作業」ではないなあ、とつくづく思います。「作業」ではなくて、もっとずっと精神的な「営み」みたいなものかなあ、ちょっとうまく表現できませんが。
やってること自体は種を蒔いて、草を刈って、収穫して・・・と、しごく単純なことの繰り返しなんですが、その単純な繰り返しのなかで、時の経過とともに草や虫に対する気持ちみたいなものが変化して、その対処の仕方も少しずつ変わっていくようです。そして、それが畑に現れていくような気がします。「自然農」に携わると、心が豊かになり、畑が豊かになっていく、ということでしょうか。('01.11.26)


「ツワ」の花。今、MICHIKO FARMの周辺ではかわらしい黄色の花の野菊も満開です。



第六信
先日、畑に行ってついに豆に実がついているのを見つけたとき、ごく自然に「神様、ありがとう!」と手を合わせていました。私が種を蒔いて、寒さの中で竹を立て、少しずつ少しずつ大きくなる様子に心躍らせ、花が咲いたら思わず手をたたいて喜んで見守ってきた豆だけど、それでも育てたのは私ではないのですね。私はただほんのちょっと手を貸しただけ。これは神様というか自然からの贈り物です。素直にそう感じられる、これが“自然農”というものだなあ、と思いました。慣行農業や有機農業ではこういう気持ちを感じることはないのではないかしら。
今、畑ではウグイスがさえずり、ミツバチの羽音がして、そんな中にいると本当に自然と一つになっているような気がします。ひとつひとつ豆をちぎりながら、自然の恵みのありがたさを身にしみて感じている毎日です。('02.4.7)


今年、グリーンピースがたくさん実をつけました。少しふくらんで大きくなってきているのが写真でわかってもらえるかな?



第七信 “自然農を極めた!?”
自然農を続けていると、いろいろな“気づき”があります。例えば今日・・・
春になってあっという間に“蓬”がはびこってしまいました。蓬がはびこる畑は痩せた畑だそうです。種を蒔くために草を刈るとき、普通は草の根と茎の境で刈って根は土中に残すのですが、蓬だけは太い根が這い回っているのが許せずにできるだけ根っこを引き抜いていました。
今日、ふと思ったのですが、自然農の世界では“益虫”と“害虫”の区別がなく、“害虫”と呼ばれる虫たちも故あってそこに存在しているのです。ということは“蓬”だって故あってそこに存在しているわけで、もしかしたら蓬がはびこる畝というのは、硬くて痩せているのでまず蓬の根のような太い根が耕し、その後細くてやさしい根っこを持つ草に交代していくのではないでしょうか?
そう気づくとなんだか“蓬”がとてもありがたいものに思えて、そこら中を這い回っている太い根っこも抜かずに大事に土中において置こうという気になりました。そして、そのことに気づいた私は、自然農を極めたかも!なんて思ったりしたのです。
・・・でも、そのとき、近所の“アイフル犬”(2週間前、私の足に噛み付いた!)のほえ声が聞こえ、いくら故あっての存在でも「こいつだけは好きになれないな」と思い、自然農の極意の修得にはまだまだ修業不足の私です。('03.4.8)


蓬に覆われた畝。太くてがっしり土中に食い込んだ根は草刈鎌では容易に切れません。



第八信“実の畑と継畑?”
今借りている畑を返さなくてはならなくなり、新しく別の畑を二枚借りることになりました。そのうちの一枚は写真のように“マルチ”もろとも耕運機で耕してあります(なんでまた!?)。ほんとうにかわいそうなありさまです。もう一枚はマルチはないもののやはりずっと耕運機で耕され続けた畑です。それにこの二枚の畑がある場所は他の慣行農業の生産農家の方々の畑が回りにあるところで、これまで人目を気にせずにすむところで一人静かに畑仕事を楽しんでいた私としては、周りの人たちの自然農に対する反応がちょっと気になるところです。本当は数年以上放置されていて、周りに他の畑がないところを借りたかったのですが、こうなったからには周りを気にせず「好きなようにやらせてもらいます!」・・・これって、会社勤めの間は決してできなかったことです。今はそれができる! 化学物質の使用と耕すことで疲弊したこの二枚の畑が自然農で蘇り、本来の清浄で豊かな畑になるよう手を貸して行こうと思います。
返さなくてはならなくなった方の畑ですが、こちらはわずか8〜9ヶ月のお付き合いでした。これから毎日この畑のそばを通るたび辛い思いをすることになります。なぜなら今でも竹が寄せてきているので、このまま放置すれば(ここを買った方は遠方に住んでいる息子さんの将来のために買われたとかで、畑作りをされるつもりはないらしい)数年で竹薮になってしまうのは目に見えており、そうなってしまったら、いくら雑木林を開拓するのが得意の私にも手に負えません。将来の食糧危機から人類を救うべき畑が一枚確実に失われたわけです(ちょっと大袈裟?)。土地を所有する、ということに伴う責任について考えさせられました。
ところで、私は畑に、子供に対して感じるような愛情を抱いていますけど、雑木林から切り開いた畑が“実の子”ならぬ“実の畑”とすれば、他の方から慣行農業で使われていたところを借り受けて自然農に切り替えようとしている畑は“継子”ならぬ“継畑”でしょうか。私はこの二つの畑に同じほどの愛情を抱くことができるでしょうか。“実の畑”の方はそれに出会った瞬間、それが長い間私を待っていてくれたかのような感動を覚え、自分が結婚してこの地に来た、その意味までが分かったような気がしたものです。それ以来抱き続けている深い思いを“継畑”にも感じることができるか疑問ですが、でもこの“継畑”が私が手を貸すことで、すばらしい自然農の畑に生まれ変わっていく様を目にすれば、もしかすると“実の畑”での畑仕事のときに感じる以上の喜びを感じるかもしれません・・・なんて、愚にもつかないことをあれこれ思いながら草刈に精を出す毎日です。('03.6.30)


黒いマルチシートが切れ切れになって畑に鋤きこまれてしまっています。これを取り除くことから始めなければなりません。



第九信“野菜は商品?”
写真は慣行農業のハウスの様子です。トマトの出荷が終わってたくさん植えられていたトマトがかたずけられ、まだ食べられそうなトマトがたくさん散らばっています。
これを見て私はトマトがかわいそうに思えました。同じトマトでも、私の畑のトマトは最後の最後までおいしく食べてもらえます。ほとんど10月いっぱいなり続け、自然に落ちたり、カラスが食べたりしたもの以外捨てられることはありません。
慣行農業では野菜は“商品”なんだなぁ、とつくづく思います。一斉に大きくなって一斉に収穫・出荷、そして一斉にかたづけてしまう。少々、食べられそうなのが残っていようが気にならない。野菜を作っている人自身が野菜を“商品”としてしか見ていないように思います。
私は野菜を“商品”として見ることはできません。自然農に携わる人はおそらく皆そうだと思います。確かに私は野菜を売っているけれど、本当は売りたくない。
種蒔きから収穫が終わるまで自然農ではほとんど半年かかります。その間見守り続け、草を刈ったり、添え木を立てたりと全て手作業で手を貸し続け、雨が少ないといっては心配し、雨が多すぎるといってはこれまた心配し、その上、野ウサギやイノシシに食べられたりして、決して思うような収穫は得られない。まるで思うようにいかない子育てをしているみたいです。肥料は使わないという私に「あなたはあなたの“ビタミンI(愛)で野菜を育てている」と言った友達がいるけれど、確かにそうとも言えそうです(収穫できなかったときなんか、“無償の愛”かな?)。これだけ愛して育てた野菜を人に売りたくなんかない、全部自分で食べてしまいたい!
ま、そうもいかないので欲しいという方に届けていますが、私の野菜のお客さんはみなさん、自然農の野菜が“自然の恵み”であることをよくわかってくださっている方ばかりです。だから私も喜んでお届けできます。
慣行農業を批判するつもりは毛頭ないのですけど、同じ“農”に携わっていても慣行農業と自然農では全く別の職業といってもいいくらいの違いを感じる原因は、どうもそのあたりにありそうな気がします。ただ、これも農業で生計を立てていない者の戯言、といわれればそれまでですけどね。('03.7.16)


慣行農業のハウスです。苗が植えられてから収穫されてこうなるまで3ヶ月とはたっていないと思います。



第十信“ワクワクの季節”
今年もワクワクするような季節がやってきました。春、それも四月になるといろんなものが芽吹いたり、花が咲いたり、実をつけたりととても楽しいですね。自分の誕生月がこういう月で本当にうれしく思います。エンドウの実や、ジャガイモの芽を眺めたりしていると自然の息吹を感じて嬉しくなります。まだ梅雨はずっと先なのに気の早いアマガエルを見つけるとおかしくなって笑い出してしまうし、モンシロチョウが飛び回っているのを眺めるのも楽しいし、ブンブンという蜂の羽音も嬉しくなります。畑にいるとみんな一緒に生きているんだなぁ、と感じ、畑のたくさんの生き物の中に溶け込んで、自然の采配のすばらしさを感じながら一日黙々と働ける喜びに浸ってしまいます。
自然農をするのには“知識”も“機械”も何一つ必要な物といってはないけれど、只一つ自然に対する“感性”、これだけは必要ですね。といってもそれは皆もともと持っているものなんでしょうけど、忙しい現代生活の中で忘れかけているのでしょうね。
取り戻した“感性”にさらに磨きをかけようと、ワクワクの四月を満喫する毎日です。(04.4)


これは“アンデス”という種類のジャガイモの芽です。赤い皮のジャガイモで皮付きのまま調理するととってもきれいです。収穫が楽しみ!



第十一信“おじさんの一言”
ご近所で最近自然農を始められた方と一緒にその方の田んぼで陸稲を作ることになりました。他に数人のメンバーと一緒です。
野菜作りで手一杯ということもあり、最初は今ひとつ気乗りしなかったのですが、畝つくりに汗を流す私に向かって、おとなりの田んぼのおじさん一言「除草剤ば撒いときない!」・・・この一言が私に火を点けた(“除草剤”だの“消毒”だのという言葉に過敏に反応する私です)!
始めは四〜五人で畝一枚(4×8m)の予定だったのに、おじさんの一言でスイッチが入ってしまい、こうなると自分でも自分が止められない私はニ枚目の畝を完成させ(自然農は機械を使わず全て手作業なので、畝をつくるのも大変です)、三枚目は流石に他のメンバーに迷惑かと思いとどまりました。
完成した二枚目の畝をながめて、「うん、よくやった!」と自己満足。私に火を点けてくれたおじさんに感謝!そして、自然農の田植えをさせてもらえることになったご縁にも感謝!。
それにしても汗だくで畝をつくる私を尻目に涼しげに除草剤を撒き続けるおじさん、私は貴方の健康が心配です。(04.6.27)


田植え後の田んぼ。機械は一切使わず、一本一本の手植えです。



第十ニ信“「気」ってなあに?”
最近「気功」だの「瞑想」だの「気」の話を聞くことが続きました。「気」ってなんでしょうね?これは私なりの解釈ですけど、生物の生き死にのエネルギーや、海や大地や太陽や風や雨なんかの自然のエネルギー、そういうもののことではないかと思うのですが・・・。もちろん、そういったもののちょっと霊的な感じも含めて。
私はうちの畑で自分では「気」を感じているつもりです。というか、私が勝手に「天の声」と呼んでいるものが聞こえる(ような気がしている)のです。生物の生き死にの舞台である自然農の畑にいると、まるで自分がそこにいる虫や草や小動物たちに受け入れられそれらとひとつになったような感覚があります。そしてそこで、「天の声」といろいろな話をしているようなときがある。初めて畑(当時は雑木林でしたけど)に入ったとき“遅かったね、貴方がここに来るのを待っていたよ”と言われた気がしたし、その後“自然農を貴方の生涯の仕事とさせてあげよう”と言われた気がした。今では自分の生き方は畑でそこに居る何者かに相談するようになっています。それが「気」ではないのかな。
「気功」も「瞑想」も室内で行うようですが、自然の少ない室内では「気」を感じることは難しいような気がします。山や森や海など本来生物が生き死にを繰り返す場所、長い間繰り返してきた場所にこそ「気」があるのではないでしょうか?
本当に「気」を知っている人が聞いたら、そんなの「気」じゃない!っていわれそうだけど、どうせ「気」なんて誰にも証明できないものなんだし、自分が「気」と感じるものが「気」なんです。と、頑固に言い張り、これこそが「気」だと自己満足。
自然農の畑では「気」が渦巻いています。今の季節、畑にいて雨を含んだ風を感じ、じっとりとした太陽の熱を感じ、鳥の声を聞きながら、黙々と草を刈る・・・。心の中で天の声と話をしながら・・・。(04.7.10)


「天の声」が聞こえる自然農の畑。私の大好きなワイルド・フィールド。ただの藪、なんて言わないで!



第十三信“無欲な女”
先日イノシシらしきものにズッキーニとカボチャを盗まれたと思ったら、今度はスイカをやられました。毎日毎日眺めて、もう少しで収穫というところだったのに・・・。ショックでした。
夕方、畝つくりをしながらふと気がついたのですが、「盗まれた」と思ってショックで落ち込むのは、それは私があのスイカを「自分のもの」だと思っていたからです。初心を忘れていました。あのスイカも、ズッキーニもカボチャも私のものではないのです。自然農の畑に「私のもの」なんてないんです。全て自然の恵み。自然からの預かり物。
浄土真宗の教えでは子供は阿弥陀様からの預かり物。子育てと自然農はよく似ています。子供は親の思い通りにはならない。よく、野菜は手をかければかけるほどそれに応えてくれる、というけれど、自然農の野菜は人間の思い通りになんてなりません。今回、野生動物が食べてしまったのは、それは自然が「ちょっと美智子さんにあげ過ぎ」と思ったから、かな?
会社を辞めて自然農を生活の中心に据えたのはおいしい野菜が食べたかったこともあるし、その野菜を欲しいと言ってくれる人に届けたかったこともあるけれど、一番は心の豊かさを求めたからでした。豊かな心で全てをあるがままに受け入れたい。畑に巡り合い、自然農をライフワークとできた幸運に感謝を忘れず、欲張らず、多くを求めず、自然に対して謙虚な気持ちでこれからも自然農を続けて行きたいと思います。
でもやっぱりあのスイカ、食べたかったなぁ。とってもおいしそうだった。自然の神様、来年こそは私にスイカを!(・・・どこが無欲や?)(04.8.12)


今回はアナグマの胃袋に収まったと思われるスイカの残骸。この夏ズッキーニにカボチャにスイカ・・・。ミチコ・ファームの野生動物たちはグルメです。



第十四信“福岡版「北の国から」”
やっと清浄な季節の到来ですね。きらきら眩しく、一鍬ごとに汗が流れ、頭がくらくらするような夏もそれはそれで好きだけど、畑がまばゆい緑から枯葉色に移っていき、どことなく物寂しいような秋も特に残暑の厳しかった今年は待ち焦がれた季節です。
そうはいっても9月から11月は農繁期。残念ながらゆっくり秋を感じている暇はありません。特に今年は残暑に加えて雨が多く、種を蒔いてもなかなか育ってくれず何度も何度も蒔きなおしましたが、ついにブロッコリーやカリフラワーはあきらめざるを得ませんでした。去年はブロッコリーもカリフラワーも立派な苗ができたのに・・・。毎年毎年必ず去年とは違うのですね。これが慣行農業だったら毎年ほぼ同じように作物が育っていくのでしょうけど。でも、それが自然農のおもしろいところ。去年の秋とは違う今年の秋の畑。私の畑への思いも、畑への接し方も去年とは少しずつ違っている。そしてそんな私の思いなどお構いなしの自然の采配。去年は今頃全く雨が無く、泣く様な思いをして畑に水を運んだことを思い出します。自然の采配の妙で、長い目でみるとどこかでバランスがとれているのでしょう。少しでも多くの収穫を得ようと人間の浅知恵を振り回して自然に対抗するのではなく、大きな自然の采配に任せて、採れただけが自然が私に畑から貰うことを許した量だと心を定めること。所詮、人間にできることなど知れているのですから。今年の台風はそれを思い知らせてくれましたし。
「北の国から」で五郎ちゃんが遺言していた言葉を思い出します。“自然から頂戴しろ。自然はお前たちが飢えない程度には食わせてくれる・・・”忘れられない言葉です。自然に対して謙虚な心を忘れず、何があっても揺るがぬ心で畑に向かい、四季折々自然が与えてくれる美しさや厳しさに気持ちを沿わせながら暮らして行きたいものだと思います。(04.10.07)


久しぶりに雨が上がった日、こんな風景に確実に秋が訪れたのを感じます。



第十五信“イノちゃんに捧げる詩”
この十月はいつもの年にも増して猪のお出ましがとても多い月でした。毎朝、畑に行くたびに新たな穴を見つけてショックを受けました。しかも、大体において、小さなかわいい芽が出揃ったところを掘っています。猪の好物は何も植えていないのに、畑を掘り繰り返して行くのです。お目当てはミミズ!
まあ、山の主だし、守り神でもあるんだから、と自分に言い聞かせています。実際多分そうなんです。猪がいなくなるときっとアナグマなんかが我が物顔に暴れだしたりするんです。それで、彼には少なからず畏怖と同時に親近感を覚えてしまいます。
というわけで、イノちゃんに捧げる替え歌。かまやつひろしの“来いよ、良き友よ”で歌ってください。
♪鼻を鳴らしてヤツが来る
通い慣れた獣道
荒い毛皮に沁みこんだ
野生の臭いがやって来る
あーあ、来いよ良き友よ
私は今でもこの村に住んで
アナグマ、ウサギに手を焼きながらも生きている♪
お粗末!


猪が掘った穴。これは小さい方。もっと大きな穴が畑のいたるところにあります。もう、勘弁してよ!



第十六信“夢のアシタカ”
イノシシ対策のために犬を飼うことにしました。成犬になったら夜、畑に繋ぐつもりです。
最初、ブリーダーの方に薦められたのは“ピット・ブル”。調べてみてびっくり! ブルドックといっても私がイメージしていた、あの、ちょっと間抜けでおどけたような短足でちょこまか動く犬とは似ても似つかぬ精悍そうで恐ろしげな犬です。何にでも喧嘩を売り、倒されても倒されても死ぬまで向かっていき、回り中から恐れられる闘犬。お友達・・・ゼロ。うぅ〜ん、でも確かに頼りになりそう。そしてすぐに名前が閃いた! “マックス”。もちろん、メル・ギブソン主演の映画「マッド・マックス(狂犬・マックス)」からとりました。私の脳裏には「マッド・マックス」と表札の付いた犬小屋がよぎり、イノシシ対策だけでなく、泥棒除けにもなる、と、すっかりその気になりかけていたその矢先・・・「ピット・ブルは闘犬だからイノシシ対策のためだけなら、“紀州犬”の方がいい」とブリーダーの方からのお言葉。
早速調べてみると、真っ白で狼の血がまじったイノシシ猟用の犬、しかも天然記念物。なんて素敵! 「苦労話」のコーナーにも書いたように、私が欲しがっていた狼の血が混じった野生的な犬! 私はすっかり“紀州犬”に恋をしてしまい、ブリーダーの方から「見つかった!」という電話を待ちに待っているのだけれど、なかなか見つからないらしい。とりあえず、名前を考えよう。
最初に浮かんだのは“風太(フータ)”。風のように走ってイノシシを追い散らす姿が目に浮かぶ。でも、これは娘の大反対にあいました。「フータ、なんてヨワッチイ名前」だそうです。なんにしようか・・・考えあぐねているとTVで「もののけ姫」が放映されました。それで、決まり! 私の待ち焦がれる紀州犬の名前は“アシタカ”! もののけ姫と一緒に森を守るために戦う青年。私はもう、気分はすっかりもののけ姫。アシタカよ、私と一緒に畑を守っておくれ!(`04.11.21)


ここにかわいらしく、気品のある紀州犬の仔犬の写真を載せられる日を待ち望んでいます。



第十七信“アシタカ参上!”
今日11月25日、「アシタカ」がうちにやって来ました! 将来、私と一緒にイノシシから畑を守るという使命を帯びて。どうです、この気品ある姿!
正午ころうちに着いた時には警戒してなかなか籠から出てこなかったのですが、餌に釣られて出てきてからは少しずつ私と娘に慣れて来て、夕方にはすっかりお友達になりました。大物なのか鈍感なのか、まだ一声も発しません。夜もきっと泣いて私も眠れないだろうと覚悟していたのですが、今のところキャンともワンとも泣きません。どことなく、一人で寂しさに耐えているような感じもあります。
アシタカが立派な番犬になれるかどうか、私の育て方にかかっているのだと思うと、責任重大。かねがね、自然農をしているとその中には子育てのヒントがいっぱいあると思っていました。私が自然農を始めたときには子供たちは既に成人していてそれを立証するチャンスはありませんでしたけど、今度アシタカでそのノウハウを活かせるような気がします。手を掛けるべき時を知り、といって手を掛けすぎず、やさしく、でも甘やかさず、突き放すときは思いっきり突き放す・・・うぅ〜ん、難しいですね。犬を飼ったことのない私にうまくやれるかな?(`04.11.25)


幼くしてすでに立派な紀州犬の風格があるような気がするのは親馬鹿?



第十八信“アシタカ、畑をパトロール”
25日にやってきたアシタカは翌26日には早々に畑デビューをすませ、その後は毎日畑で遊んでいます。
やってきたその日はやっぱりちょっと猫をかぶっていたのか、どことなく不安げで大人しかったアシタカ。翌日には猫を脱ぎ捨て、私の足にじゃれついたり飛び掛ったりと遊んで欲しくて仕方ない様子です。畑に連れて行くと狂ったように走り回ります。好奇心旺盛で少しずつテリトリーを広げているようですが、用心深いところもあり私からあまり遠くに離れることはなく、呼べばすぐに戻ってきます。今日はとっても暖かい良いお天気で、遊びつかれたのか、畑仕事をしている私の傍でお昼寝もしました。
日中は畑でなければ家の庭で遊んでいます。ここでも用心深さを発揮して道路には出て行きません。争いは好まないようで、近所の犬には近づこうとしません。先住猫のナナとは友達になりたそうにしているのですが、ナナに全くその気がなく、「ウー」と唸られ引っかかれそうになっては尻尾を巻いています。
夜は息子の部屋が今空いているのでそこに置いたサークルの中で寝ています。夜中に目を覚まして淋しくなるのかものすごく大きな声で遠吠えをします。私が一緒の部屋に寝てやると安心してまたぐっすり寝てしまいます。
アシタカはそんな毎日を過ごしています。私の畑仕事も相棒ができて一段と楽しくなりました。(`04.11.28)


立派な“畑の用心棒”になれそうでしょう?



第十九信“アシタカ、臭い不足?”
アシタカが畑で遊ぶようになってからニ、三日イノシシが来ませんでした。こんな小さな犬でもやっぱりイノシシは嫌がるんだ、と喜んでいたら一昨日の晩、またまた襲撃されました。甘かった!アシタカがもっと大きくなってイノシシも嫌がる強烈な臭いを畑に撒き散らすようになるのはいつでしょう?
ところでアシタカはもともとイノシシ対策のために飼うことにした犬だけど、すーっと私の心に入ってきてあっという間に無くてはならない存在になりました。そして、「犬ってみんなこんなじゃないよね?」と思わせられることがしばしばです。紀州犬という犬がそもそもそういう犬なのか、それとも個体差の問題でアシタカが特別なのか、犬を飼ったことの無い私にはなんともわからないのですが、とにかく、不思議な生き物です。ただの犬とは思えない。
アシタカがいたペット・ショップ「ファミリア」さんから送られてきた「犬のしつけ」のビデオを見て、座れ、だの、伏せ、だの教えてみましたが、どうもこんなのアシタカには必要ないって感じです。餌でつって行き届いた躾をして、主従関係がどうのこうのとか、ペットにリーダーシップを奪われないようにとか、そういうことは確かに大切だとは思うのですが、アシタカに限ってはそういう次元にいないような感じがするのです。ビデオを送ってこられたファミリアのオーナーさん自身も「こういう訓練は紀州犬には似合わない」とおっしゃるのです。どういう意味でそうおっしゃったのかが、アシタカを見ているとなんとなくわかるのですが、別に猪猟犬だからそういうふうに飼いならす必要は無い、という意味でおっしゃったのではないように思います。他の犬と人間の関わり、以上の関わり方ができる犬、それが紀州犬だからそういう次元の訓練は似合わない、という意味でおっしゃったのではないかと思うのです。そして、「自然農流で育てるように」ともおっしゃいました。
もしかしたら、私はものすごく大切なものと出会ったのかもしれません。ネットで探したとき「人生の伴侶となれるわんこです」というコピーがアシタカの写真に添えてあったけど、確かに私は人生の伴侶を得たのかもしれない、と思える日々です。(`04.12.1)


イノシシの臭いに気づいているのかいないのか、このあと気持ち良さそうにお昼寝してしまいました。足元にあるのは最近畑で見つけたお気に入りの何者かの骨です。



第二十信“アシタカ、番犬の素質は?”
アシタカは早い段階で「三人+猫一匹」という我が家の家族を認識したようですが、それと同時に家族以外の人間に向かって“唸る”ということを始めました。ワンワン吠え立てる、ということは全くないのですが(私はまだアシタカの「ワン」という吠え声を聞いたことがない)、ちっちゃなアシタカが生意気そうに歯を剥いて“ウゥ〜”と唸り続ける様子はどこかコケティッシュで笑いを誘います。今日なんか、お客さんの足を私の足と間違えて(オイオイ、美智子さんの足はそんなに細くないだろう?)じゃれ付こうとして間違いに気づき、あわてて戻ってきて唸り出したときなんか、皆でウケました。でもこれがもう少し大きくなってあんなふうに牙を剥いて唸ってこられたら、とても笑うどころではなく、私なんか足がすくんで身動きできなくなりそうです。番犬の素質、大いに有り、ですね。
この調子で猪にも向かっていけるように勇敢な犬に育てなければ・・・と思って昨日は一緒の部屋に寝ることを止めました。アシタカは成犬になったら一人であの真っ暗な山で寝なければならないのですから、早く一人寝ができるようにしなくては。うちに来て最初の2、3日は夜中に淋しがってか遠吠えをしていましたが、それもなくなり、ウンチやオシッコも教えるようになって、昨日も一人でよく眠ったようでした。なかなか、辛抱強く、独立心の強い子のようです。といっても、甘えるときはほんとうによく甘え、庭のサークルから出してやると気が狂ったようになって私の足にじゃれついて離れません。いつまでもこんな甘えたでやんちゃなアシタカでいて欲しいと思う気持ちもありますが、いかんいかん、子供を千尋の谷に突き落とすライオンの母親のようになって、アシタカが一人で猪に立ち向かえるようにしてやらなくては、と思い直しています。(`04.12.2)


ナナとアシタカ、二匹が平和を保てる距離はこのくらいです。アシタカはナナも家族と認識しているようで、彼からナナに唸るということはありません。でもナナはアシタカを家族と認めておらず、縄張り荒らしと思っているのでいつまでも“ウゥー”と唸るのを止めません。二匹に本当の平和な関係が訪れるのはいつの日か?



第二十一信“アシタカ、二つの本性”
この4〜5日の間にアシタカの二つの本性がわかりました。
その一・・・アシタカはいざという時頼れる男
先日、畑で二匹のビーグル犬に出くわしました。うち一匹がアシタカを値踏みするようにじっと見ていたと思うと、突然襲い掛かりました。アシタカはすばやく身をかわし、凄い形相で「ガゥゥ!」と大きく唸って反撃に出ました。あっという間にビーグル犬を撃退。二匹はすごすごと退散していきました。
いつもは近所の犬にどれだけ吠え立てられてもきょとんとしているアシタカがいざとなるとなんて頼もしい!
その二・・・アシタカ、食い意地張りすぎ
アシタカの食べっぷりはすさまじく、本当に“ガツガツ”という感じでぺろりと平らげます。極め付けが今日、自分のゲロを食べちゃいました。その上、猫のナナのゲロ(これは食べてすぐもどしたようで、原型を止めていましたが)までも。あーあ、私の愛する貴方の品位と風格はどこへ行ったの?(`04.12.7)


ちっちゃな三角の目で何を見て、何を考えているのか?
身体に付けているプチプチは草の種。畑で遊ぶのでいつもたくさんくっつけてます。



第二十二信“アシタカと私、将来の展望”
私は今年4月に50歳になったのですが、これからの10年は勝負の年だな、と思っています。大好きなスキューバ・ダイビングにしろ、畑仕事(普段の仕事はそうでもないけど、開墾は体力要ります)にしろ、ミノリ・アンのウエイトレス(これがまた、体力勝負なのです。なにしろミノリ・アンの皿は重い)にしろ、体力の要ることができるのはこれからの10年までのような気がして。
60歳になったらアシタカと彼の家族と一緒に静かに山に篭って自然農をしよう。それこそ、純粋に生きるための、食べていくための労働ということになるかな? ここでも「北の国から」の五郎ちゃんの声が聞こえてくる・・・“金を求めるな、幸せだけを見つめて生きろ。自然から頂戴しろ、自然はお前たちが飢えない程度には喰わせてくれる”・・・アシタカ、そのころは私もお前やお前の家族にドッグ・フードなんてものは食べさせてあげられないかも。そのかわり畑の野菜はいくらでも食べていいからね。
とりあえず、その前準備としてアシタカが恋の季節を迎えるころに彼にお嫁さんを見つけよう。これはファミリアさんに相談するとして・・・。アシタカにお嫁さんがきたら、生れた仔犬を一匹だけ残して育てよう。でも、他の仔犬は? うまく里親が見つかるといいけど・・・。いったい何匹くらい産むのかな? それに、最初の年だけじゃないよね。毎年毎年発情期(あからさまな言葉ですねぇ。もう少しロマンティックな言い方ないのかな?)が来るんだろうから、毎年毎年里親探しに追われることになるかも。どなたか今のうちから予約なさいませんか? きっと可愛くて賢い紀州犬の仔犬たちですよ。
いや待て、一匹だけ残した仔犬のお嫁さんはどうする? その仔犬にもお嫁さんを見つけてあげたら、アシタカの孫たちが次々に生まれる。そうか、アシタカの子供も次々に生まれ、アシタカの孫も次々に生まれ、アシタカのひ孫も・・・やめよう、これ以上は考えたくない。数字に弱いから頭が痛くなる。
とにかく、これは私の理想の生活の話だから実際的な問題はさておくとして、60歳になってアシタカと山篭りをする練習も兼ねて、アシタカが成犬になって畑に繋ぐときには私も一緒に畑で寝てみよう。アシタカの小屋はもうできているから、後は私一人が横になれるくらいの小さな小さな掘っ立て小屋を作ればいい。そうともアシタカよ!お前を一人で猪に立ち向かわせはしないよ。私にも悲鳴という援護射撃くらいはできるのだから。(`04.12.14)


美智子さんの壮大な(?)将来の展望など知る由もなく、エンドウの種の入ったビンで遊んでいます。



第二十三信“アシタカ、反抗期?”
先日、予防注射のためにアシタカを獣医さんに連れて行きました。看護婦さん、アシタカを見るなり「紀州犬!ムムム・・・」。
犬のことを良く知っている人ほど、こういう反応をされるのですが、この「ムムム・・・」の部分はなんなんでしょうね。そして、皆さん揃って「今に手に負えなくなるよ」とおっしゃるのです。このときの看護婦さんも「もう、すでに犬のほうが飼い主より上になりつつある」と言われ、そして、それを証明するかのように、待合室にいたビーグル犬に喧嘩を売ってしまったアシタカ(先日ビーグルに襲われて以来、アシタカはビーグルぎらいになったみたいです)。部屋にいたみんなから「きかんぼう!」と言われてしまいました。
アシタカが私から主導権を奪いつつあるのかどうかはよくわからないけれど、今、とっても困っていることが一つあります。それは車の乗り降りを嫌がること。畑に通うのに車を使っていますが、そのために車に乗せようとすると逃げ回り、やっと乗せて畑に着くと、今度は降りるのを嫌がります。畑が嫌いなのではないのです。だって畑から帰るために車に乗せようとするとやっぱり逃げますから。降りるのも嫌がるのだから車が嫌いというわけでもなさそう。では、ただ、抱かれるのが嫌なのか?そうかもしれません。一度、ナナの餌を狙って私の腕の中で暴れて落っことしたことがあり、それがトラウマになっているのかも。うーん、どうもよくわかりません。看護婦さんの言われるように私より上に立とうとしているのかな?甘やかしたつもりも可愛がりすぎたつもりもないけど、どこかで育て方を間違った?
ただ、「犬の飼い方を知らない」とか「甘い」とか言われそうだけど、私はアシタカと「主従の関係」を結ぼうとは思っていない。人生の相棒として「信頼関係」を結びたい。猪やアナグマから畑を守るという同じ使命を持ったもの同士、これからの長い人生と犬生を一緒に豊かに過ごして行きたいと思う。
それで考えた。信頼関係を育てるためには、私が終始一貫変わらぬ態度でアシタカに接することが大事なのではないのかな?猫っ可愛がりしたつもりはないけれど、獣医さんに言われたように「少し距離を置く」ようにしよう。だって、子供たちを育てるときだって私は会社勤めをしていたから、一日の大半は家におらず、家にいても家事に追われて子供と接する時間は僅かだった。それでも子供たちは良い子に育った(私は良いところだけ見て育てたから。もう大人だけど今でも良いところしか見てない)。それを考えると今はほとんど毎日家にいてアシタカと接しているから、確かに少し意識的に距離を置いたほうがいいのかも。私の心を読んでいるアシタカ。個々にはいろいろ問題が出てくるだろうけど、変わらぬ落ち着いた態度で接していけば私が信頼関係を築きたいと思っていることはきっとアシタカにも通じる、そんな気がしています。(`04.12.22)


アシタカ入浴シーン
「ぼく、アシタカ。やんちゃしてます。」



第二十四信“アシタカ、スネかじり”
アシタカは以前から私の足にじゃれついて噛み付く、ということをしていましたが、最近では噛む力も強くなり、本人は遊んでいるつもりでも、私はけっこう痛い。中途半端に怒ったりすると、相手をしてもらっていると思ってなおさらひどくなるかな、と無視することにしていたのですが、だんだん噛み方もひどくなり、このままでは私の立派なスネも噛み砕かれそう、と、一転して厳しく叱ることにしました。
昨日からやってます。アシタカも私が怒っていることはちゃんと解っているのです。だけど、「ダメ!」と言われると目をそらし「ボク知らないよ」とでもいうように、後足で頭を掻いたりしてごまかし、またすぐに噛み付いてきます(ずるいぞ、アシタカ!)。これを昨日からずっと繰り返し、凄みを利かせて大声で叱っていると、今日はもう声が嗄れてしまいました。
まるで、どっちがあきらめるか、根競べをしてるみたい。今日の夕方あたりからどうやら勝ち目が見え始め、この戦い、私の勝利に終わりそうです・・・なんて、向こうも今頃「明日こそ!」なんて思って眠りについているかもね。(`05.1.4)


畑では私の足に噛み付くのに飽きると、暖かい日はすぐにお昼寝モードに入ります。



第二十五信“アシタカ、SMプレー?”
足に噛み付くのを止めないアシタカに対して、最近は静止作戦に出ています。噛み付いてきたらピタッと動きを止めて好きなだけ噛ませます(ズボンを三枚はいて)。すると、動かないものはおもしろくないらしく、しばらくすると止めてしまいます。でも、噛み付かれるのが、快感になりそう。私って“M”?
アシタカに「座れ」と「待て」だけ教えました。餌を前にして「座れ!、待て!」をさせられるアシタカ。前足を「右、左、右、左」と踏み代え、居ても立ってもいられません。さらに待たせるとちらっ、ちらっと私の目を見て「まだ?まだなの?まだですかっ?」。遂には、ビート・たけしよろしく首を左にピッ、ピッと引きつらせ始めます。これが見たくてときどき長めの「待て」をさせる私ってS?(`05.1.16)


アシタカ:ねえねえ、ナナさん遊んでよ!
ナナ:うぅ〜!いや!だいたい私あんたのこと大っ嫌い!あんたは私のストレスの種だわ!
アシタカ:そんなこと言わないでさぁ、遊ぼうよぉ!
ナナ:うぅ〜!しつこいわね、得意のジャブをお見舞いするわよ!あっちに行って、私のことは放っといて!あーあ、あんたが来る前の平和で静かな生活が懐かしい・・・



第二十六信“アシタカ、脱走劇”
アシタカは家にいるときはほとんどサークルから出て庭で遊んでいましたが、最近この辺に居ついたノラと友達になり、彼が誘いに来ると二匹で近くの畑で遊びまわりご近所迷惑になっていそうだったので、ここのとこずっとサークルの中に入れていました。すると、昨日、今日と私の隙を見て脱走してはノラのところに行き、遊び飽きるまでは呼んでも帰って来なくなりました。ノラとアシタカは実に楽しそうに(?)くんずほぐれつ、凄い形相で噛み付き合っています。いつもこうやって遊ばせてあげたい、とは思うのですが、そういうわけにもいかないですね。私だってあの二匹の様子をみると(今でこそ、ただ遊んでいるんだとわかるけど)恐ろしくなりますから、犬嫌いの人はもちろん、畑の持ち主の方なんか嫌がられるでしょうし・・・というわけで、明日からはますます気をつけてサークルから出ないようにしなければ。アシタカが自由に動き回れるのは畑や山に行ったときだけになります。
畑の前の道をずっと奥に歩いていくと左右が竹林になった山道になります。こういうところに連れて行くととっても喜びます。だいたいは私の近くを私の歩きに注意しながら着かず離れず遊び遊び歩いていますが、ときどき、遊びに夢中になって山の中に入っていき、呼んでも帰って来ないときがあります。昨日もそうやって帰って来なかったので、畑まで戻って仕事をしながら待っていました。もう薄暗くなってきていたし、きっと私を探して走って戻ってくるに違いない、と思っていたのに、随分たってから道の向こうにやっと白い姿が見えたと思うと、なんとのらくら歩きながらやってきています。「こら!アシタカ!走って来い!」と呼ぶと脱兎のごとく走ってきましたけどね。
紀州犬っておもしろい犬だなぁ、と思います。犬を飼ったことのない私が犬に対して抱いていたイメージは全て覆され、最近は洋犬と日本犬の違いも随分わかってきました。アシタカは今4ヶ月ですが、これは人間でいうとだいたい5歳くらいらしいです。目の離せない悪戯盛りですね。体重も10kgを超えました。畑でしゃがんで仕事をしていると、時々この10kgが突進して体当たりしてきて、私はうしろにひっくり返りそうになります。アシタカと一緒に畑仕事をしていると一日があっという間に過ぎてしまいます。(`05.1.29)


車の中で物思いに耽っているアシタカ。なんだか、年寄りくさく見えますね。実は今日始めて訓練士の方のトレーニングを受けて、ちょっとブルーなアシタカです。



第二十七信“アシタカ、幸せですか?”
アシタカが来て以来、彼の運動を兼ねて雨にも負けず、雪にも負けず、ほとんど毎日畑に通っています。お陰で今年の冬は仕事がはかどりました。でもさすがの私も今日ばかりは畑仕事を断念。行ってはみたものの、吹雪のような強い風にまっすぐ立っていることすらできませんでしたので。
というわけで、きょうは朝と夕方に長めの散歩をしました。私もアシタカも近所の犬たちのお散歩コースは好きではなく、山道をリードなしでの散歩が大好きです。そして私は前を行くアシタカに後ろから着いていく方が好き。アシタカは“ボク、この道知ってる!”とでもいうように、尻尾を得意げに高く上げ、むっちりしたお尻をぴょこたんぴょこたん降りながら駆けて行きます。そして私との距離が離れると“美智子さん、付いてきてる?”というような顔つきで立ち止まって振り返ります。分かれ道に来るとそこでも“どっちいく?”とたずねる様に私の顔を見ます。そういう様子がおもしろくて、私は時間のあるときはできだけ後ろから付いていって、アシタカに自由に歩かせます。
まるで吠えるということを知らないようなアシタカでしたが、最近、知らない人に対してよく吠えるようになりました。洋犬のように誰にでも尻尾を振っていく、ということは全くありません。稀に一度で好きになる人がいて最初から吠えもしない、ということもあるにはありますが、ほとんどの人にはなかなかなつきません。でも、不思議と一緒に畑で遊ぶとすぐに慣れて仲良くなるようです。山や畑が本当に好きなんだろうと思います。できるだけ長い時間山や畑で遊ばせてあげたいものだと思います。
犬の寿命って17、8年くらいでしょうか?アシタカがその命を終わるとき、“美智子さんと山や畑で過ごせて幸せだったなぁ”と思ってくれることを願っています。そして私もまた人生の後半の大切な時間をアシタカと過ごせたことを幸せに思って次の世界に旅立ちたいものです。(`05.2.1)


今日は“キツネ顔”のアシタカ。たまにはこんな顔もと思ってお見せしていますがホントはもっとずっとハンサムです。
ところで、もう一つ、山道の散歩が好きな理由・・・それはウンコを拾わなくていい、ってこと。アシタカは一日に4、5回くらいウンコをしています。毎回、それはそれは立派なウンコです。散歩や畑に行くとその度に必ずします。快食快便のアシタカです。



第二十八信“アシタカの闘志”
アシタカとリーダーシップを争っています。アシタカを訓練してくださっているHさんによれば、私はすでに相当アシタカに舐められているらしい。このままだと、先々、事故を招くことになる、ということで、リードを付けての上品なお散歩の練習をしています。これが実に大変。どんどん先に進みたがるアシタカを前に出さないよう、寄り道をさせないよう、引っ張っていくのは相当力が要ります。お陰で足も腕もこわりっぱなし。この冬、少しは太れるかと期待していたけれど、この運動量ではとても望めそうにありません。そのかわり不眠症が解消!畑仕事にミノリ・アンの皿運び、それに加えてアシタカの散歩で、毎日疲れ果て夜10時ともなると睡魔が襲ってきて11時には眠りに着いています(これを書いている今もほとんど思考力はありませんので、脈絡のない文章になっていると思います。すみません)。
そして朝7時に庭に出てみると、サークルの中から小さな三角の目をいっぱいに見開いたアシタカが、太い四本の足をしっかりふんばってこちらに向かい、私に散歩を催促しています。あーあ、今日もまた半分走りながらの「散歩」ならぬ「散走」の始まりです。こうやってアシタカといつまで主導権争いを続けることになるのでしょうね。
ところで「争い」といえば、例のノラとアシタカの争い(遊び?)の方も熾烈を極めてきました。今日も隙を見て脱走したアシタカは私が気付いて行ってみたときにはすでにノラと取っ組み合いを始めており、たまには心行くまでやらせてみようかと思ったものの、双方身体に血を付けいてるのを見て、これはヤバイ、とやっとのことで引き離し、連れ帰りました。血の原因はアシタカの歯(多分乳歯)が一本抜けたせいだとわかりました。アシタカはどうしてあのノラとの取っ組み合いに固執するのかな?他の犬、例えば散歩の途中でときどき会う豆柴の「チャチャ」や、パイプカットして太りすぎた「コテツ」には体よくあしらわれても、こちらから仕掛けていくことはないのに、あの自分より一回りも大きくて強そうなノラとはとことん遣り合わないと気がすまないらしい。勝負はいつも大体互角。向こうは自由に動け、アシタカはリードで私に引っ張られていることを考えるとだいぶ向こうが有利だけど、その割にはいや、なかなか頑張っている。闘志を剥きだしにして食らい着いていく様子をみていると、「どうか、アシタカ、その闘志を猪との戦いでも見せてください」と願わずにいられません。(`05.2.11)


アシタカは横顔が素敵!この顔からはノラと戦うときのすざましさは想像できません。



第二十九信“アシタカ初泳ぎ”
昨日のことです。リードなしでの散歩の途中、アシタカの姿が見えなくなりました。探してみると途中にあった池の向こう岸にいます。思わず「アシタカ!」と呼び、そのあとすぐ「シマッタ!」と思った時にはアシタカは池の中にダイビングしていました。多分私のところまで直線コースで戻ろうと思ったのでしょう。その池はアシタカを助けに飛び込むのを躊躇させるほど見事に汚い池で、アシタカが溺れながら水に沈んでいくシーンが頭を過ぎりましたが、なんと、彼はさすが犬。見事な犬掻きで泳ぎ始めました。でも水が冷たかったのでしょうね。すぐに近くの岸に上がってしまいました。
アシタカの先生が言いました。「貴方が先に池に飛び込んでみせなさい。そうすればアシタカはなんて強い主人だ、と貴方を尊敬する。」・・・うぅ〜ん、もうちょっときれいな池のときにね。
ところでアシタカの散歩ですが、今日は先生と一緒だったせいか、とってもとっても上品な散歩ができました。今朝までの散歩とはうってかわって、優雅で心安らぐような散歩。アシタカめ!裏表がありすぎるぞ!
そして今日17日はアシタカ満5ヶ月の誕生日ですが、奇しくもその日、彼が生まれたその日から敵と決まった相手が早くも現れました。つい2,3日前に猟が終わったばかりというのに、もう、猪が畑に現れさんざん荒らしていきました。アシタカはまだ5ヶ月になったばかりですが、もう畑に繋がれることになりそうです。私は、というとアシタカのそばで眠るべく、畑がある丘の頂上まで登れる車(軽のバンで四輪駆動、運転席がフラットになる)を探しています。これが見つかったら、遂にアシタカとの畑での夜の始まりです。(`05.2.17)


見よ!この輝くばかりの白さ!汚い池で泳いだアシタカはそのあと、ブルッと2,3回身震いすると何事もなかったかのように小鳥を追いかけまわしてどろんこになり、その汚さにたまりかねた私と娘からお風呂に入れられました。ほんとは暖かくなるまで入れないつもりだったのですけど。
でも、きれいになったアシタカは気品に溢れ、抱きしめたくなる美しさでした。オトコは見かけじゃない、なんていうけど、やっぱり見かけは大事かも?



第三十信“アシタカ、トレーニングの成果”
前回、丘の頂上まで登れる車を探している、と書きましたが、そんな車はない、と解りました。というか、私にそれだけの運転技術がない、ということらしいです。それで、この線はあきらめ、今は丘の上に小さなプレハブ小屋を置いてそこで夜を過ごすという手を考えています。早くしないと今日植えたジャガイモを食べられるんじゃないかと枕を高くして眠れません。竹槍と2B弾で武装してアシタカと二人、畑で暗く長い夜を過ごす日も遠くなさそうです。
そして、そのときまでにアシタカとの間に強固な信頼関係を築くことができればいいのですが・・・。そのための週2回のトレーニング(今まで6回終了)の成果が少しずつ現れてきています。アシタカは散歩の時、リードをぐいぐい引っ張って自分のペースで歩き、私はほとんど走りながら引っ張られていたのですが、それが随分私のペースに合わせるようになってきました。散歩が楽になりました。その散歩のとき、工事中の新しい道に行き、アシタカは工事のおじさんと友達になりつつあります。工事が終わる前にもっと仲良くなれるように毎日行こうと思っています。(`05.3.1)


こうやって見るとなんだかもう大人みたいですね。でも、友達と遊びたくて毎晩のように脱走しているまだまだやんちゃなアシタカです。



第三十一信“アシタカ、トレーニングの成果−その2”
アシタカは最近ではサークルから脱走することはなくなりました(私が扉の開け閉めを用心深く行うようになったから)が、そのかわり畑で離してやると、いつのまにかいなくなり、例のおむかえのお寺に居ついたノラ(いまでは「ベス」という名前までもらっている。でもオスなのに「ベス」?)のところに行って血みどろの肉弾戦を繰り広げるようになりました。何故アシタカが他にたくさんいる近所の犬には向かっていかないのに、このノラにだけは立ち向かっていくのか?アシタカの先生に言わせるとアシタカはノラのボスになりたがっている、ということらしい。どうもこのあたりの犬の中ではノラが一番強そうで、ノラを負かせばアシタカがこのあたりのボスということになりそうです(まだたった5ヶ月のくせに生意気な!)。自分より強そうな相手に立ち向かっていく、というのは、猪猟をしてきた紀州犬の本能らしく、もし、アシタカがノラに勝ったら、今後も他の犬にも仕掛けていくことになりそうなので、ノラを無視させるように躾ける必要があるということでした。
アシタカのトレーニングは昨日で8回目が終わり、その成果は目覚しいものがあります。私との散歩もすっかり上品な散歩になりました。ところで、先生は紀州犬は嫌いらしい(自分たちが噛み付き事故にあうのはいつも紀州、とおっしゃってます)のですが、アシタカは大好きだそうです。素直な良い犬、だそうです。確かに、先生とのトレーニングのときはアシタカは別人、じゃない別犬みたいに命令に機敏に従い何でもします。そして、先生にとって問題はアシタカではなく、私らしい。犬を躾けるには飼い主に犬を引き込む“気”とか“リズム”が必要、との事。先生曰く、私は“ふうたんぬるい”そうです。“ふうたんぬるい”ってのは多分博多弁で、つまり、とろい、とか、にぶい、というような感じかな。確かにその通り!そもそも、どうも私にはよくわからないのですね。さっきも言った犬がボスになるために戦いたがる、なんていうような犬社会のありように、誰とも争わず、ぼーっと生きて行きたい私には付いていけない。しかし、今さらそんなことを言っても始まらない。先生の言うように犬は代えられないのだから、飼い主が変わらなければ・・・・というわけで、犬を引き込む魅力ある飼い主(動きが素早くメリハリがあり、威圧感のある声で、大袈裟なくらい表情豊か・・・てなところでしょうか、どれひとつ持ち合わせがないものばかりですが)を目指して日々奮闘中です。アシタカに現れている訓練の成果が私に現れるのはいつのことやら・・・。(`05.3.9)


「つくし王国」の住人アシタカ。畑からズラカルようになって、これからは畑でもリードに繋がれることになってしまいました。
アシタカ君、キミはいいね、毎日暢気そうで。そこいくと私は、どうやって畑に寝泊りするか、問題山積みで大変なのよ。それでもどうにか「掘っ立て小屋」つくりに向けて着々と進行中。アシタカよ!のんびりできるのも今のうち、かもよ。



第三十二信“アシタカ、お姉さんと一緒”
最近アシタカは知らない人によく吠えるようになりました。普段はワンともキャンとも鳴かないのに、知らない人がそばにくるとものすごく大きな声で吠えます。ミノリ・アンのお客さんも例外ではなく、大きな声で吠え立てられてこちらが申し訳ないような気になります。ただ、ちょっとでも一緒に畑に行くとすぐに慣れて手や顔を嘗め回すようになります。特に女性は。工事現場のおじさんにはなかなか慣れないのに。やっぱりオスですね。(`05.3.15)


きれいどころのお姉さんたちに囲まれ、ご満悦のアシタカ。



第三十三信“アシタカ、トレーニングの成果−その3=インディアンになれ!”
実家の母がつくづく申しました。「あんたのとこはほんとにいろいろあるねぇ」・・・これは多分40歳以降の私と私の子供たちの行動について言っているのだろうと思います。
40過ぎて私は突然スキューバダイビングを始め、とりつかれたように海に通っていたかと思うと、これまた突然自然農を始め、またまたとりつかれたように雑木林を開墾し出し、大して収穫もないのに野菜の宅配まで始め、その上、今度は娘と二人して農家レストランまで。かたや24歳の息子は勤めをあっさり止めて東南アジア放浪の旅へ(これは出国以来4ヶ月を過ぎるも未だ戻らず、今はタール砂漠あたりをうろついているらしい)。そうかと思えば猪対策とか言って犬(それも紀州犬!)を飼い、挙句の果てには畑に猪番小屋を立ててそこに犬と寝泊りすると言い出す始末。堅実で保守的な母があきれ果ててそういうのも無理もないかな。
でも、私としてはこれはすべて自然の成り行きとしか言いようがなく、そしてその全てをとても楽しんでやってるのです。
アシタカの先生が言いました。「犬の飼い主たるもの、すべからくインディアンであれ!」インディアンのように「ホ、ホ、ホ、ホ、ホー」と身体全体で踊るようにして愛犬の訓練にあたれ、という意味です。母もあきれるほど、いろいろおかしなことをやっている私、この際インディアンになるくらいがなんだ!インディアンでもホッテントットでもなんでもなってやろうじゃないの!「犬の訓練は犬があきらめるか、飼い主があきらめるか、あきらめた方が負け。犬を退屈させない飼い主を目指せ!」という先生。先生の動きは確かにインディアンも顔負け。そしてそれに嬉々として従うアシタカ・・・。今に見てて、私だって先生ほどではないにしてもきっとなるぞ、インディアン・・・もう少ししたら、とりつかれたようにインディアン踊りでアシタカを訓練している私がきっと見られますよ(あーあ、またご近所の噂に・・・)。(`05.3.18)


浜辺のアシタカ。最近はよく近くの海岸に散歩に行きます。これからはここでインディアン踊りを踊ろう!



第三十四信“モモとアシタカ・・町の犬と田舎の犬”
ヨネちゃんがアシタカと遊ばせようと飼い犬のモモを連れてきてくれました。でも、アシタカがモモに吠え立てて二匹は遊ぶどころじゃありません。モモはよく言うことを聞いて大人しくしているのですが・・・。
モモはアシタカと同じ先生にトレーニングしてもらっています。先生によるとモモは覚えが早いそうです。確かにまだ2回くらいしかトレーニングしてないはずなのに、飼い主のいうことをとても良く聞いて、今までの吠えてばかりいたモモとは別犬です。先生曰く、「モモは車や人通りも多く刺激も多い町で暮らして、神経質で怖がりだけどそれだからこそ覚えが早い。その上運動神経も根性もある飼い主(これは実はヨネちゃんのことではなく、ヨネちゃんのお嬢さんのサヤちゃんのことなんです)にトレーニングされて目を見張る上達ぶり。かたやアシタカはボーっとした田舎で暮らし、ボーっとした飼い主にトレーニングされて、ボーっとした犬になってる」ですって。その上、私は犬にとって魅力のない飼い主(「犬にとって」ですよ、皆さん。あくまでも「犬にとって」ですからね。)だから、ビスケットを100枚くらい持って犬の気を引かなくちゃいけないそうです。毎度毎度厳しいご指摘、ありがとうございます。
私もこれでもなんとかインディアンになりたいと随分努力はしているんですけどね。なにしろもう50年、このペースでやってきてるもので・・・。ま、私とアシタカはボチボチ行かせていただきますね。先生のおっしゃるとおり「私とアシタカは“良かコンビ”」ですから。(`05.3.27)


サヤちゃんと、モモと、アシタカ。早く一緒に遊べるようになるとうれしいな。



第三十五信“吠えろ!アシタカ”
紀州犬というのは無駄吠えをしない犬です。アシタカも知らない人に吠える以外は全く無駄吠えをしません。そのことを私は嬉しく思っていたのですが、これが実は困ったこともあるんです。
リードをはずして散歩しているとき、呼んでも帰ってこないことが続けて二度ありました。どちらのときも帰るに帰れない状態になっていました。こちらは呼び続けながら探し回るのですが、向こうが返事をしないので、どこにいるのか検討がつきません。二度ともどうにか探し当てて無事連れ戻りましたが、ワン、とかキャンとか吠えてほしいものだとつくづく思いました。その上、どうも、美智子さんが見つけてくれるさ、と思っているようなフシもある・・・横着者め!鈴でもつけるか?えぇっ、猫でもあるまいし・・・。(`05.4.8)


これがアシタカの“伏せ!”のポーズ。先生とはなんでもするアシタカが私とだとなかなか“伏せ”をしませんでした。まるで、「ボクのプライドが・・・」とでも言いたげに。一週間かけてやっと“伏せ”をさせるのに成功!せめてもの抵抗のつもりか伏せたくなさそうに「よっこらしょ」とばかりに伏せます。しかも後足は横ずわり。私は、といえば、どうやらまた少し主導権を取り戻したような気がしています。
そして今日、運動不足のアシタカのために自転車を買いました。明日からこれでアシタカを走らせます。今まではアシタカが私を走らせていたけど、これからは思う存分引きずりまわしてやるぞ!覚悟しろ、アシタカ!・・・でも私、自転車に乗れるかな?



第三十六信“アシタカの弱み”
アシタカはうちに来た当初二晩ほど遠吠えをしていました。きっと淋しかったんだと思います。私が一緒の部屋に寝てやるようになってからピタリと遠吠えしなくなりました。
そのアシタカの遠吠えを久々に聞きました。先日畑に置き去りにして戻ってきたとき、していたのです、遠吠えを。「ウォ〜ン、ウォ〜ン」と。このときアシタカは戻ってきた私に気づいていませんでした。気づいた途端に遠吠えを止め、いつもなら喜んで飛びついてくるのにこのときは照れ隠しなのか知らん振りをしていました。淋しくて遠吠えをしていたのを見つかって恥ずかしかったみたいです。私が「紀州犬っておもしろい!」と思うのはこんなときです。なんだかとっても人間臭いじゃありませんか?(`05.4.16)


今日はお米の種蒔きにアシタカも参加。私に遠吠えを聞かれて以来、弱みを握られたような気がしているのか、とってもよく言うことを聞くようになりました。今日もマルちゃんから「おっ、アシタカ。今日はおとなしいやない。」と言われておりました。



第三十七信“アシタカ、目指せ!ベジタリアン”
アシタカをベジタリアン犬にすべく、その第一歩としてまず、ペット・フードを止めました。アシタカがベジタリアン犬になれるかどうかははなはだ疑問ですが、私としてはペット・フードだけはなんとか止めたかった。どうもあれは共食いの可能性もあるし、BSEも怖い(犬のBSEは聞いたこと無いけど、もしあるとすれは、犬は狂犬病の心配の上に狂牛病の心配まで背負わされることになる)。
きのう、ペット・フードの在庫が無くなったのを機にアシタカの餌は私がつくっています。手探りなので(ご飯に鳥のささ身や野菜、魚などを入れて)、アシタカはどうもあまり好みではなさそうですが、そこはそれ食い意地の張りすぎた彼のこと。少々のことには目をつぶり(半生のダイコンだけはいただけない、と食べ残しました)、とにかく食欲を満たそうとガツガツと食べております。
おやつはミノリ・アン特製のワン用クッキー。これは私がいただきたいくらいです。
もし、アシタカがベジタリアンになれたとしたら、すごいと思いません?だって紀州犬の少ない固体数から考えても、きっと日本でただ一匹のベジタリアン紀州犬ということになるのではないかしら?(`05.4.26)


呼ばれても返事をしないアシタカに鈴を付けました。まるでハイジの子羊よろしく、ミノリ・アンのお客様も鈴を鳴らしてお出迎えです。



第三十八信“踊らされるタイプ・・・アシタカファンの皆様ごめんなさい。今日は「アシタカ通信」ではありません。”
福岡では先日の大きな余震以来、「また大きいのが来る!」という噂がしきりです。そんな中、先週、わざわざ電話で「今日、午後6時ころマグニチュード9くらいの地震がくる」という噂がある、と知らせてくれる人があり、私と娘は「そういえば今日は猫のナナの姿が見えない!」などと怯え、貴重品をリュックに詰めてその時刻の30分前に畑に非難したのでした(もちろん、アシタカを連れて)。
幸い何事もなく過ぎたのですが、娘はその話をお客様にしたところ大いに笑われたそうです。そして私はというと、やはりお客様とその話になり、「そういう噂に踊らされないようにしないとね」といわれて、「ホント、そうですね!」なんて言って、既にしっかり踊らされたことは言わずにすませました。
そして、そんな踊らされやすい二人が持ち出した貴重品というのが・・・娘→化粧ポーチ、手帳、なぜか帽子。私・・・現金と通帳。なんでしょうね、一体?二人揃ってペットボトルの水一本持って行ってないなんて!(`05.5.2)


畑に建築中の「猪番小屋」。完成間近です。次回から踊らされたらここに非難すべく、水を常備しておこう!



第三十九信“アシタカ、マーキングに大忙し!”
全14回の調教が終わって先生が来なくなり、ボーっとした飼い主とボーっとした犬はこのところますますボーっとした生活を送っております。
変わったことといえば、アシタカが片足を上げておしっこをするようになり、それと同時にマーキングにはまり出したこと、かな。散歩の間中、狂ったようにクンクンしてはあっちにもこっちにもマーキングして回ります。よくそんなにおしっこが出るねぇ。「あっちもこっちもぜぇーんぶ小田中ボクの縄張りさ!」てなとこでしょうか。マーキングに忙しい上、山道で猪がズ・ズ・ズンと滑り降りてきたような獣道でも見つけようものなら、さあ大変。藪の中に頭を突っ込みお尻だけ出したポーズでいつまでたっても動きません。そんなこんなで散歩といってもクンクンするのに時間がかかり、ほとんど運動にはなっていないみたいです。たまに思い出したように「そうだ!先生に教わったんだ。美智子さんの横で美智子さんの顔を見ながら歩かなくっちゃ」と、突然おりこうさんになっておやつをせしめたりもしますが。自転車での運動も止め、今のところ娘とのジョギングだけが運動らしい運動かな。えっ、何故自転車で走るのを止めたかって?それはですね、走っている最中にマーキングしたい場所を見つけたりしたら、アシタカが突然物凄い力でキーッと止まるので、自転車ごとひっくり返りそうになるのです。実際ひっくり返りました(現場を近所の小学生に見られ「おばちゃん、こけたと?」と言われた)。アシタカがもう少し大人になって落ち着いた散歩ができるようになるまで自転車はお預けにします。新品の自転車は今は散歩から帰ってから、これは放置できないという場所にされたアシタカのウンチを一人で拾いに行くのに使っています。なんてこった・・・。(`05.5.4)


アシタカ生後6.5ヶ月。顔にはどこかあどけなさがのこるけど、人間でいえばそろそろ手におえないティーンエイジャーの入り口あたりでしょうか。なにくそ!負けないぞ!・・・とボーっとした飼い主は息子の思春期時代を思い出して覚悟を新たにしております。



第四十信“アシタカ、臨戦態勢!”
猪番小屋が完成し、夕べ初めて娘とアシタカと、二人と一匹で畑で夜を過ごしました。やっぱり一人では怖くてだめだったろうと思いますが、とりあえず、このメンバーなら大丈夫。意外と居心地の良い小屋で数十年ぶりの寝袋でしたが、熟睡できました。
アシタカも始めは鈴が鳴っていたから、まだ寝てないなぁと思っていましたが、そのうち静かになり、どうやらぐっすり眠ったようでした。
最初の夜は猪もアナグマも出没することなく、平和に過ぎました。あとは、いざというときのアシタカの反応次第ですね。(`05.5.8)


アシタカの独り言
今日、チセおばちゃんがたくさんおみやげを持って久しぶりにボクに会いに来た。ボクははじめ大いに吠えた。だけど、チセおばちゃんはボクの落としどころを心得ていた。最初にたくさんのおやつで誘惑し、それからナナさんをかわいがってボクのジェラシーを掻きたてる・・・ボクは、すぐに、落ちた・・・。でも、ボクはもらったばかりの「カミカミおもちゃ」をすぐに無くしてしまった。チセおばちゃん、気を悪くせずにまた来てくれるだろうか?



第四十一信“アシタカ、臨戦態勢・・その2(経過報告)”
猪番小屋に寝泊りを始めて5日目の夜、この日は小屋に行くのが遅くなり深夜12時を回っていました。小屋に着いてすぐ、アシタカが遠くの竹林を見つめて動かなくなりました。同時に私たちも猪の気配に気づき、耳をすませると、バキバキと枯れ枝を踏むような音が聞こえてきます。懐中電灯で照らすとだんだん音が遠のき、猪は去っていったようでした。さすが、アシタカ。よく気がついた、と褒めてやり、遠くでよかった、とほっとしました。
私たちが番屋に寝泊りするようになって、畑は荒らされていません。どうやら猪は人と犬の気配があると近寄らないのではないかと思っています。でも、油断大敵。気を抜かずに毎晩頑張るぞ!・・・といっても、アシタカのお陰で30年来の不眠症から解放された私は毎晩熟睡しているので、よっぽどアシタカが騒がない限り起きられそうにもありませんが。(`05.5.16)


アシタカと私の新しいネグラ。



第四十二信“アシタカ、「味のある犬」”
先日ミノリ・アンにお見えになられたお客様がアシタカを評して「味のある犬」とおっしゃいました。「味のある犬」・・・うぅーん、言い得て妙!
そして「味のある犬」と言われて人間社会では人気急上昇中のアシタカは、でも犬社会の中では一匹狼。ご近所の犬たちの中でアシタカが敵意を剥きだしにして喧嘩を売りに行く相手が二匹。今は立派にお寺の住人の一人になった例のベスと、もう一匹は畑の行き帰りに必ず通る道のそばの家の名前は確かジョン。つい最近もちょっと目を放した隙にジョンに襲い掛かり引き離すのに難儀をしました。そのほかの犬たちはアシタカは好意を示しているのだけど向こうが嫌っていたり、アシタカの方が全く興味を示さなかったりで、彼には未だにお友達がいません。
アシタカは夜になると私と山小屋に行く毎日にすっかり慣れて、お陰で今のところ畑も荒らされずにすんでいるし、やっぱりお嫁さんを探してあげようかな?と思う今日この頃です。もし、メス犬を飼うとするなら畑仕事が暇になる12月くらいかな?そのころちょうどお母さんのところから離れるくらいの仔犬がいそうだったら教えていただけますか、ファミリアさん。それともやっぱりもう少しアシタカが大人になって落ち着いてからがいいのでしょうか?紀州犬もメスだとオスよりおとなしいでしょうか?また、いろいろ教えてくださいね。
それでは今夜もこれからアシタカと二人、山小屋へ熟睡しに行って参ります(あんなところでよく熟睡できるな、と自分でも不思議です)。(`05.5.26)


アシタカは山道の散歩のときリードを離してやると、一度必ず私の方を振り返り、「いいの?行っちゃうよ」とでもいうようにちょっと後ろめたげな一瞥をくれ、それから山の中へ走りこんで行きます。そして判で押したように10分ほどで私のところへ戻ってきて、私から「もう一回行っといで」と言われると今度は振り返りもせず山の中へ消えていきます。



第四十三信“カラダで返す?”
ミツエさんがヨネちゃんとナミさんの衣服の草木染を引き受けていました。いつも車に乗せてもらうから、と言って。お互い、お金でなく、「カラダで返す」というわけ。
これを見ていてなんだか嬉しくなりました。いいですよね。お金じゃなく、自分の好きなことや得意なことでお返ししたり友達に喜んでもらったりできるって。
先日のヨネちゃんのマクロビオティックの料理教室(ヨネちゃんは遂に今月から長年の勉強の成果を発揮してのマクロビオティックの料理教室を始めました。頑張って!応援してるよ。)に参加して、私も私の得意なことを、というわけで、始まる早々料理の勉強は娘に任せて、マルちゃんと二人、飲んで、しゃべって、味見をして・・・。これこそ私の得意とするところ、かな?(`05.5.31)


アシタカの得意は、というと、今のところ喧嘩を売ることと、拾い食い、くらいのものかな。でも、彼の場合は存在そのもので私を喜ばせてくれています。それに彼が大人になったら、きっと私の心の友になってくれると信じて疑いません。
ところで、どうです?この写真。風呂上り直後のアシタカです。うぅーん、ハンサム!



第四十四信“鳥の巣発見!”
畑で鳥の巣を発見!エンドウの畝の中にありました。写真のように巣の中に卵が四個入っています。ウズラの卵より少し小さめ。孵化するまで、毎日覗きに来ようと思いますが、親鳥が暖めているところはまだ見かけません。ヘビやアナグマなんかに襲われないといいけど・・・。
それにしても、こういう環境=鳥や小動物や虫や草がたくさん集まってくれる環境=を守らなくては!と改めて思いました。最近、梅雨時というのに雨もなく、まるで日本でも砂漠化が始まっているのでは?と思ってしまいますが、日本はさておいても、世界中で急速に砂漠化が起こっているのは事実ですね。今や、驕り高ぶった人間が自然を破壊しつくそうとしていて、もうそれに対して打つ手はなさそうにも思えます。人間も自然の一部であること、鳥や虫よりほんのちょっとだって賢いなんてことはないんだってこと、そんなことに一人でも多くの人が気づいて、自然をどうこうしようなんてことをせず、自然と同化して生きていく道を選ぶようになるといいのですけどね・・・。(`05.6.6)


かわいい卵でしょう?えっ、誰ですか?「食っちゃえ」なんて言ってるのは!



第四十五信“アシタカ、本能の目覚め”
アシタカはどうやら狩の本能に目覚めてしまったようです。1週間ほど前に鳥を仕留め、昨日は子どもの狸を仕留め、そして今日は・・・。
最近、散歩に来ている山は結構深くてアシタカも私もお気に入り。リードを離してやると喜んで走り出し、山道を外れると10分から20分ほど戻ってきません。そんな時私はたいていその場に座り込んで本を読んでいます。アシタカはすぐ近くでリンリンと首輪につけた鈴を鳴らしながら遊んでいた、と思うと突然断末魔の叫び声!アシタカが子どもの狸を仕留めた瞬間でした。鳥のときと、狸のときと、私は二度動物の断末魔の叫び声というものを聞いたわけです。アシタカは一声も発せず、狸のときはおそらく一噛みで仕留めたみたいでした。鳥のときはまだ生きているのを弄んでいました。
私が、「ホッとする禅語70選」なんていう本を読んでホッとしているそのすぐ近くで、リンリンと鈴を鳴らしながらアシタカが殺戮のために駆け回っている。なんという絶妙のコントラスト!おまけに座り込んで本を読んでいる私の頭上の木の枝にはイタチがやってきて、私に向かって小さく「ウー、ウー」と威嚇の唸り声をあげたりしているのです。これはもう正しく物の怪の世界。
そして、アシタカ満9ヶ月、狩の本能の目覚めです。ついさっき、夕方の散歩のとき、アシタカは猪を追い詰めた!いや、木立の向こうでしたから猪の姿を見たわけではないのですが、アシタカに向かって唸るその低い声はかなり大型の獣のものでした。鳥のときも狸のときも一声も発しなかったアシタカがこのときはワンワン吠え、もしかしてこれは私に「早く来て、こいつを仕留めてよ」と言っているのでは?でもゴメン!私猟師じゃないし、竹槍も2B弾も持ってない。それにアシタカが私のほうに猪を追い出したりしたらどうしよう?「アシタカ、一人で猪に立ち向かわせはしないよ!」なんて言っていた私ですが、怖くてたまらなくなり、アシタカを見捨ててすたこら車のところまで逃げてしまいました。それからはアシタカが猪の牙にやられる場面ばかりが脳裏をよぎり、はっと思いついてファミリアさん(アシタカがいたペットショップ)に電話をして状況を説明しました。ファミリアさんによるとアシタカが一人で猪と絡むとは考えにくく、1、2時間で車のところに戻ってくる、とのことで、ちょっと安心した私は暗くなるまで車で待つことにしました。8時になったら家に帰ろうと待っていたら8時5分前、アシタカは無事怪我も無く車まで戻ってきたのでした。
これに懲りてもう、明日からはこの山に来るのは止そう、そのときはそう決めたのですが、なんだか明日の朝になったらまたあの場所に行ってしまいそうな私。もしかして本能に目覚めたのはアシタカだけではないのかも・・・?(`05.6.19)


狩の本能に目覚めたアシタカ、満9ヶ月。でも、このときはご飯のおあずけを喰らって、情けなさそう。



第四十六信“アシタカ、♪たまには喧嘩に負けて来い♪”
前回お話した物の怪の住む山にはその後2度行きました。一回目は意外にも20〜30分で車で待っている私のところにあっさり戻ってきたアシタカですが、二度目のときはなかなか戻ってきません。かすかにリンリン鈴の音は聞こえるのですが、何かを夢中で追いかけているらしく何度呼んでも戻らず、遂に8時になってアシタカをおいて家に帰りました。
さあて、いつになったら戻ってくるかと待っていたのですが、ふと帰り道でジョンを襲ったらどうしよう、と心配になり外にでて様子を窺っていると、9時半くらいになって遠くに鈴の音が聞こえ、「面白くねぇなぁ」とでもいうような顔をしたアシタカがチンタラ戻ってきました。どうやらジョンを襲うこともなかったようでほっとしました。これまでに3回ほどジョンと喧嘩をして、いつも圧倒的に優位だし(ジョンは繋がれているから当然ですが)、しかも喉の急所のあたりに噛み付いてけがをさせそうでいつも電話であやまったり大変なのです。昔、にわかセンペイのCMソングに♪たまには喧嘩に負けて来い♪というのがありましたが、そう言いたくなる親の気持ちがわかるような気がしています。
だいたいアシタカは町内中の犬たちから敵意をもたれているようで、散歩にいくと民家の近くではあちらでもこちらでもワンワンと犬が吠え出し、飼い主が「何事だ?」と外に出てきたりします。アシタカの方も今にも襲い掛かりそうになる相手が何頭かいて、私はありもしない体重をせいいっぱいかけてアシタカを押さえるのに大変です。
とにかくこの町内にこんなに犬がいたのか、という感じで、過疎化で人口密度は極端に低いこの町内で犬口密度だけは日本でも有数のものなのではないか、と思われます。ま、そんなこんなで山で放してやろうにも帰り道で喧嘩を売るのが心配で、今のところせっかく目覚めた本能に磨きをかけるチャンスも与えてやれず、毎日朝夕、町内中の犬に吠え立てられながら上品なお散歩をしているアシタカです。
近いうち、夕飯の準備も早く終わり、暗くなるまで2時間くらい間がありそうな日、また、お気に入りのあの場所に本能を磨きに連れて行こうと思っていますが・・・。(`05.7.12)


畑仕事用のパンの助手席はアシタカの指定席。運転席のシートは既に散々に喰いちぎられています。どうせなら自分の座席のシートを喰いちぎってくれればいいのに・・・。



第四十七信“アシタカ、夏には弱い?”
氷のような雪も、凍えそうな雨もなんのその!冬場あれほど強さを発揮していたアシタカが、夏は・・・・。
特に日中はいけません。サークルの日陰に入ってほとんど死んだようにぐったりと寝ています。ときどき、起こして生きているのを確かめたくなる。
そのかわり、夕方ともなると、ソワソワ・ウロウロ。傍を通るとじっと私を見つめる催促するような視線を感じます。「美智子さん、そろそろ時間でしょ?散歩、まだ?」。日中、寝て過ごしたアシタカは畑で過ごした私とは対照的に元気いっぱい。私を引っ張りまわそうと手薬煉引いて待っているようです。コワッ!(`05.7.30)


ボク、知らない人が来たら吠えるのが仕事なんだけど、もうどうでもいいや。暑くてそんな気になれないよ。どうぞ好きにして・・・。



第四十八信“アシタカ、意外とデリケート?”
アシタカを海に入れました。今までに無く強硬に抵抗するアシタカを無理やり海の中に引きずり込みました。沖に向かって引っ張る私とは反対にアシタカは岸へ岸へと泳ぎ、リードをはずしてやると浜辺へ一目散。海がよほど嫌いみたいでした。
そして翌朝散歩のとき、アシタカは血便をしました!多分精神的ストレスのせいだと思われます。
そんなにいやだったのか、かわいそうなことをしたな、と反省、反省。その翌日にはもうすっかりよくなりましたけど、きっと海はトラウマになったでしょうね。ますもさんちのシロやゴロは波乗りをするそうですが、アシタカは犬掻きさえも二度と見せてくれそうにありません。(`05.8.6)


精神的ストレスから血便をする、意外とデリケートなアシタカ。こんなに嫌がっていたのに海に入れられて、無理もないか。



第四十九信“アシタカ、タイプはニューハーフ?”
うちのお向かいは禅宗のお寺さんですが、そこには私が確認できただけで6頭の犬がいます。3頭はそれぞれ犬小屋をもらって繋がれており、あとの3頭は放し飼いです。
その犬たちのボスは放し飼いの中の1頭でメスの“ハナチャン”。ハナチャンは気が強くてとてもヤキモチ焼き。アシタカが大好きな和尚さんからなぜてもらったりしていると、「ウゥー」と唸ります。アシタカの方もハナチャンはちょっと煙たいようで好んで近づこうとはしません。
この女王様ハナチャンの親衛隊を務めているのが例のアシタカの喧嘩相手、ノラ改めベス(オスです)。それからハナチャンの兄だか弟だかになる“キューチャン”。こちらが親衛隊長。
アシタカはこのキューチャンが大好きです。見ていてこちらが恥ずかしくなるくらい、「ボクは貴方の僕です」みたいな感じで地面に這い蹲らんばかりになり擦り寄って行きます。でも、キューチャンはアシタカが好きではないようでただ、うるさそうにしています。そして、このキューチャン、実はニューハーフ。仔犬のときにハナチャンと一緒にお寺に捨てられていたのですが、そのときからすでにオトコとしてのあるべきものがなかったそうです。もしかしたらそれでボスの座をハナチャンに渡して自分は親衛隊長を務めているのかもしれませんね。(`05.8.13)


ニューハーフ・キューチャンです。ゆったりとおおらかな性格みたいです。



第五十信“アシタカ、わがままな犬?”
しばらくアシタカ通信をさぼってしまいましたが、その間もアシタカは一匹狼を貫き、じわじわと近所の犬たちにその存在感をアピールし続けています。最近では近所の犬たちだけでなく、その飼い主さんにも顔が知れ渡るようになり、私も全く知らなかった町内の人たちと散歩のときに出会ってお話したりするようになりました。といっても、その人たちが犬を連れているとアシタカが犬たちと喧嘩する気満々なのでほんのちょっとの立ち話ですけど。
面白いのは年配の男性だと、「おっ、シロ、散歩か?」と何故かアシタカを「シロ」と決めてかかっていたり、女性だと「まあ!美しか(美しいという意味の方言)イン(犬のこと)ですと!」なんて言ったりすること。小学生には何故か名前が売れているようで、時々どこからともなく「アシタカっ!」と声がかかったりします。
そんな中で、昨日アシタカは「わがままな犬ですねぇ!」と言われてしまった。これはアシタカが自分の行きたい方向へ私を引っ張りまわしている様子を見てのことです。以前、アシタカの先生が言ったように、散歩は飼い主が行きたい方向へ行く、というのが本当で犬は大人しく飼い主の左側少し後ろにつき従うべきなのです。だけど、アシタカときたら、全く私のことなど意に介さず何か臭いを嗅ぎ付けたらどんどん行きたい方へ進んで行ってしまうのです。本当はこれはいけないのですが、でも、私はこれでいい、と思っています。誰にも迷惑かけてないし、私がちょっと大変なだけですから。もし、アシタカが大人しく私の左一歩後ろを歩いてばかりだと(散歩の間にはそういうときもある、おやつが欲しいときです)アシタカもおもしろくないだろうけど、私も面白くない。私はアシタカが他の犬と違って、自分の意思を持っているのかと思わせるようなところが好きなのです。
子育ても犬育ても自然農流です。私は子どもというのは親の言うことを聞かないものだと思っています。私自身も親の言うことは聞かなかったし、私の子どもたちも私の言うことなど聞きません。それでいいのではないかな?こうやってアシタカと付き合っていって、アシタカがもう少し大人になったら本当に私の人生の相棒になってくれそうな気がしています。(`05.9.5)


アシタカ、満11ヶ月。今月17日で満一歳になります。うちに来てから9ヶ月が過ぎました。
回りの板がかじられているのがわかりますか?散歩に行くのが遅くなったりするとかじって催促するのです。今、外は台風の接近で雨と風が強くなっていますが、それでもやっぱり散歩に行かなくちゃすまないでしょうね。毎朝、毎夕欠かすことなく一時間ずつの散歩です。今日は雨だから排便だけで早めにきりあげよう、なんて思っていると、その思いがわかるのか、なかなか排便しません。なにがなんでも一時間は私を引っ張りまわしたいらしいアシタカです。