丘の上だより

妄想

クソッ!

と、悪態をつきながら真竹料理を美味しくいただいてます(笑)

 

コウジくんが「ミチコさんは竹堀りはいいですよ、ボクがやります。」と私を甘やかし実際ほとんど彼がやってくれているのですが、それでも全てお任せするには忍びなく私もできるだけ竹堀りする。と、ややもすれば去年の夏のようなことになりそうになる。
暑さと竹に負けてひと夏を不調に終わってしまった昨夏。

これはヤバい!

と、折れそうになる心を妄想で鼓舞して折れない竹と格闘中(笑)。

 

竹の根を掘りながら思う。正しく働かざる者食うべからずの世界ミチコファームですが、それにしても人間はどうしてこうまでして食べないと生きられないのかな?霞を食って生きていきたいな(笑)。

 

なにを思って私はここまで竹掘りに執着するのか?

それは後の人のことを思うから。
ここを私が次の世界に旅立った後誰が守っていくのかわからないが、その人が少しでもやりやすいようにと願って。

または私がまだこの世界にいる間にミチコ・ファームがこうなって欲しいと思い描く姿に到達するために、ここだけは、竹にはびこって欲しくないから。

その姿とは・・・

ここに集う人たちがそれぞれにこの自然農の畑であるがままに自然と戯れている
野菜を育てる人、菊芋を育てる人、蜜蜂を飼ってる人・・・etc.

色んな思いの人がここでは大きく息をして自分が自然の一部であることを楽しんでいる。
それぞれの特技を活かして楽しんでいる。
例えば電気仕事が得意な〇〇くん、とか、野草料理に詳しい〇〇さん、とか、大工仕事が好きな〇〇くん、とか、緻密な作業が好きな〇〇さん、とか、それぞれがそれぞれの力を出し合って仕事を楽しみながら収穫物を分かち合い、自然に寄り添っている。特技がなくても大丈夫、私も特技ないです、寄り添う心だけあればいい。

 

小さな楽園

 

そのとき、私はまだこの世界にいるので私の特権としてここに来る人たちにその素質があるかどうか試験させてもらおう(笑)。

 

それは・・・ミチコ・ファームにおける三無主義「急がず、考えず、欲張らず」を守れるかどうか。

 

自然農において成長はゆっくり・じっくり・・・急かさないで!

考えるのではなく感じること・・・アナタの五感で自然の優しさ厳しさを感じて!

自然から多くを奪おうとしないこと・・・自然は与えようと思うものだけを与えてくれます、欲張らないで!

 

そんな素質を備えたちょっとだけアウトローな人たちが集まって楽しんでいる畑・・・なんて素敵!

 

ハイ、妄想のおかげで暑さの恐怖も竹の恐怖も忘れまた良く眠れるようになりました。

苦しい時は楽しいことを妄想すること!
楽しいことを手繰り寄せながら苦しい時を乗り越えよう!

コウジくん、あなたもあなたの妄想を膨らませながら、ガラスの腰にヒビが入らない程度に
これからも私の妄想にも付き合ってね(笑)

大丈夫!私たちの妄想はきっと実現するから!

 

小さいのが好き♥

このジャガイモはここで育ちました。見てのとおりスギナやテントバエの菊芋なんかに覆われて。
スギナの多い土は痩せているとか、雑草が栄養をとるとか言うけど、関係ないんじゃないかな。
毎回こんな雑草だらけの土で水っぽさの全くない美味しい芋が出来ます。
サイズですか?はい、小さいですよ。でも大きな芋も小さな芋も細胞の数は同じなんです。つまりこの小さいジャガイモは身が詰まってしまってるってこと。
男子バスケットボールの渡嘉敷さん(だったかな?)も小さいのに大活躍してるでしょ。小さいのは良いことだ!

 

というわけで、敢えての「小さな野菜作り」・・・実は油粕を補うだけも面倒だったりするというのもあるのですが・・・(笑)

「耕さず、虫や草を敵とせず、肥料・農薬を用いず」

自然農の心得を肝に銘じて美味しく安全で元気な野菜作りに励んでいます。

と言うと「売らないからそれでいいよね」、とか、「年金で食べていけるからそれでいいよね」、とのお言葉をいただくのです。

はい、年金で食べていけてます。野菜を買わなくていいから。(笑)
でも、実際に自然農の野菜の販売で生計を立てておられるかたもたくさんいらっしゃいますよ。

私が目指しているのは、ファームステイで皆さんにお伝えしたいのは、少しでもいい、自分の食べる野菜は自分で育てる(あっ、間違えました。虫や草に育ててもらう、でした。)、ということの楽しさ。
その先にはさらにこれまた楽しい「物々交換」が待ってます。
自分で頂く野菜に限らず本当は人に売る野菜だって見栄えやサイズはどうあれ、美味しく安全で元気であることが一番だと思いますけどね。

などと、畑で思いを巡らせ、人がなんといおうと自分の思いだけに忠実に日々を楽しんでいます。
「私の三無主義」を掲げて・・・「群れない。媚びない。驕らない。」

因みに最後の「驕らない」はその時々により色々変化します(笑)。

命の終わりは命の始まり

去年の秋に種を降ろした野菜たちが命の終わりを迎えようとしています

つい昨日まで美味しくいただいた「グリーンピース」はこんな風に枯れ

 

この冬から春先随分と楽しませてくれた「雲仙コブ高菜」もたくさんの花が咲いて種になり
間もなく枯れて弾けます

私はこれらの種たちが命のバトンを次に渡すのをお手伝い

この種を保存して秋にまた種降ろしをすることでまた新しい命が芽吹きます

このままこぼれ種となり秋にはまた自然に発芽するものもたくさんあります
自然農の醍醐味ですね
命の終わりと命の始まり・・・命の繋がりを目の当たりにできる

 

こういうことを目の当たりにしながら営々とコツコツと土と日光に親しむ日々です

効率よい収穫なんてことを考えるでもなく
沢山採れるようにと栽培方法を工夫するでもなく
収穫に結びつかなかったときもどうしてだめだったかを考えるでもなく
採れなければ採れないでこれも神様の采配と納得し
収穫できた野菜を売るでもなく
たまに物々交換が成立すれば大いに喜び
畑に来てくれた人たちや手伝ってくれた人たちと分け合い
美味しく力強く優しい旬の味わいを楽しんで自分も命を繋ぐ・・・

普通の流通や経済活動には背を向けたようなこの暮らし
小さな小さなアウトローを楽しんでいます