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丘の上だより

  • 第250信 現代のベートーヴェン

    佐村河内守さんのゴースト作曲家問題が世間を賑わせていますね。 そのこと自体を云々するつもりは全くないのですが、このニュースのお蔭で思い出したことが・・・。 実は去年TVで佐村河内さんを知り、早速交響曲HIROSHIMAのCDを入手。主に車中で聞いていたのですが、この曲に物凄い恐怖を感じたのです。 聞いたその時から怖くて怖くて、その日以来夜も眠れなくなりました。 ずっと前ですが、死ぬの生きるの、殺すの殺されるの、というような恐ろしい夢を見る癖があったのですが、ベジタリアンになってからはそんな夢をほとんど見なくなっていました。 たまに、外食で肉をたくさん食べたときなどそういう夢が再現して、ああいう夢を見るのは、肉食のせいもあったんだろうな、と合点していたのですが。 HIROSHIMAを聞いて久しぶりに悪夢を見るようになり、恐ろしさに飛び起きて不眠が続きました。 それでも曲は聞き続けていたのですが、遂にその呪われたような恐怖感に耐え切れなくなり10日ほどして聞くのを止めました。 そうしたらそのうちまた夢を見なくなり、よく眠れるようになりました。 なんだったんだろう、あの恐怖感? 佐村河内さんは絶望の中苦しみながら作曲をしているんだろうけど、それが曲に乗り移って、聞いた私にも乗り移ったんじゃないかな? なんて考えていたものです。曲のイメージだけ伝えて、実際に作曲したのは別人だったらしいけど、そういうことをしている罪悪感も乗り移って、ますます、恐怖を与える曲になっちゃったんじゃないかな?   こちらは穢れ知らず ぽかぽか、いい気持ちで昼寝中のサンたん

  • 第249信 エネルギー不足?

    最近何かと用事が多く、畑仕事のまとまった時間がとりづらく、少々イライラ気味。 畑で、大地のエネルギー、宇宙のエネルギーを身体に浴びて、生かされている感を体感している私としては、畑仕事が進まないことだけでなく、エネルギー不足になっていそうで辛いのです。 聞くところによると空気中のエネルギーを皮膚から取り込んで体内で血液ができるようになれるとか。そうなると食べなくてもいいらしい。まるで仙人。霞を食べて生きている感じ。 これ、理想だなぁ。 いや、待て。食べなくてもいい・・・なんか寂しいじゃないですか? せっかくおいしい自然農育ちの野菜がたくさんあるのに。 特に大食いの私としては、いくらエネルギーは足りているといわれたところで、やっぱり口から食べてこその満足感。 てことは、凄いなぁ。あれだけ食べて、さらに大地と宇宙のエネルギーも浴びて・・・。 こりゃ、もっともっと働かないと申し訳ないかな? お行儀のいいサンたんはスティック状のおやつはちゃんと手に持っていただきます。

  • 第248信 まったり

    まったりした、実にまったりした元日の午後です。こんな元日何年ぶりだろう?というくらいまったりです。 朝寝もしたし。 実は昨夜飲み過ぎて二日酔い気味。なんと、暮れにひょっこり「獺祭」が手に入り、しかも磨きの違う3種類の1合瓶のセット。ということで、ミノリと二人で飲み比べをしてしまいました。最初の一口ずつは違いが少々はわかったけれど、あとはもう只々旨く、スイスイと二人で3本飲み干してしまいました。 「獺祭」、くださった貴方!ありがとう!!!お蔭で良い年越しができました。 そして、畑仕事は山のようにあるけれど、今日は畑には行かない。 なぜなら、これまた暮れにひょっこり、「ボランティア」をゲットしたから。気持ちに余裕ができて、元旦くらいはのんびりしよう、という気になりました。 「ボランティア」に来て下さる貴方!ありがとう!!!お蔭でのんびりした元日を過ごしています。 なんだかひょっこりいろんなものをゲットした暮れだったなぁ。 てなわけで、この後は読書でもしてみよう。読む予定の本が積読状態になってるし。 読書といえば、子供の頃は本当によく本を読む子でした。 小学校低学年の頃は父が買ってくる本を読んでた。祖父(父の父)の作った借金もあり、決してゆとりのある暮らしではなかったけれど、父は本だけはよく買い与えてくれた。 「美しいポリー」とか、「若草物語」とか、たくさん読んだけれど、のちにそれらは所謂ダイジェスト版というものだとわかり、それでは物足りなくなった小学校高学年で私が手を出したのが父の蔵書の中にあった「世界文学全集」(何故かこれを父が読んでいる姿はついぞ目にしたことはないが)。 「嵐が丘」、「ジェーン・エア」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「アンナ・カレーニナ」、「女の一生(これはモーパッサンとゾラの両方)」、「ナナ」、「赤と黒」、「チャタレイ夫人の恋人」、「大地」、「自負と偏見」、「風とともに去りぬ」・・・。 今、パッと思い出すだけでこれだけある。しかも、それぞれを一回だけ読んだわけではない。どれもほとんど複数回読んでいる。「嵐が丘」なんて、何回読んだかわからないくらい。 文字通り「寝食を忘れて」読み耽った。 小学校の頃、私はひどくぼんやりした子で、授業中もボーっと窓の外を眺めて先生の話を聞き洩らし、質問に頓珍漢な答えをしたりしていたが、多分、読んでる本の主人公になりきって、そのあとの展開を妄想中で授業どころではなかったのだろうと思う。要するに妄想っ子だった。 今思えば、何故その読書癖を貫かなかったかと悔やまれる。 えっ?もし、そうしていれば、一角の小説家くらいにはなれたとでもいうのか、って?いえいえとんでもない、そんなのは小説家に失礼千万。 ただ、もっともっと心豊かな青春を過ごせていたんじゃないか、と思うのです。 学校の勉強なんて何の役にもたってないけど、読んだ本から受けた感銘は今でも心に強く残っているから。 だいたい、学校で教えるあの点取り主義、競争主義のあの授業、あれ、なんとかならないの? 好きなことだけさせてくれたらよかったのに。 数学なんて特に普通の人には無用の長物だと思うけど。サイン・コサイン・タンジェント!(♪サイン・コサイン何になる?♪って歌があったなぁ)虫唾が走る。ベクトル?三角関数?宇宙飛行士にでもなるのかっ?! なら、国語は?と云えば、小説の一説だけを取り上げて「作者は何を云わんとしているのか?」なんて聞いてくる。たった一部読んだだけでそんなものわかるかっ!それより文豪の作品一つでも一年かけてでも読み通すほうがよっぽど良い授業ではないかしら。 なら、歴史は?と云えば、これまたウソを習ったとしか言いようがない。例えば、「縄文時代」。この時代は狩猟と採集生活で農耕は「弥生時代」になってから。と習った。でも、今では縄文の遺跡から次々に農耕跡が発掘されているではないか! 日本で一番古い書物として習ったのは「古事記」と「日本書紀」。これもウソ。本当はもっとずっとずっと以前から文字もあり、本もあったと云われている。要するに権威者と云われる人たちがそれを日本史と認めていないだけ。 要するに「読み書きそろばん」で良い。あとは勉強したい人だけに勉強させればいい。好きなだけ無料でいくらでも。 そういう学校だったなら私は迷わず本に耽り、妄想に耽り続けていられたはずで・・・。 ま、今でもこんなふうに「妄想」には耽り続けていますけどね(笑)。 今年もサンと散歩中の妄想も楽しみます。 そしてもちろん、畑での妄想も。

  • 第250信 現代のベートーヴェン

    佐村河内守さんのゴースト作曲家問題が世間を賑わせていますね。 そのこと自体を云々するつもりは全くないのですが、このニュースのお蔭で思い出したことが・・・。 実は去年TVで佐村河内さんを知り、早速交響曲HIROSHIMAのCDを入手。主に車中で聞いていたのですが、この曲に物凄い恐怖を感じたのです。 聞いたその時から怖くて怖くて、その日以来夜も眠れなくなりました。 ずっと前ですが、死ぬの生きるの、殺すの殺されるの、というような恐ろしい夢を見る癖があったのですが、ベジタリアンになってからはそんな夢をほとんど見なくなっていました。 たまに、外食で肉をたくさん食べたときなどそういう夢が再現して、ああいう夢を見るのは、肉食のせいもあったんだろうな、と合点していたのですが。 HIROSHIMAを聞いて久しぶりに悪夢を見るようになり、恐ろしさに飛び起きて不眠が続きました。 それでも曲は聞き続けていたのですが、遂にその呪われたような恐怖感に耐え切れなくなり10日ほどして聞くのを止めました。 そうしたらそのうちまた夢を見なくなり、よく眠れるようになりました。 なんだったんだろう、あの恐怖感? 佐村河内さんは絶望の中苦しみながら作曲をしているんだろうけど、それが曲に乗り移って、聞いた私にも乗り移ったんじゃないかな? なんて考えていたものです。曲のイメージだけ伝えて、実際に作曲したのは別人だったらしいけど、そういうことをしている罪悪感も乗り移って、ますます、恐怖を与える曲になっちゃったんじゃないかな?   こちらは穢れ知らず ぽかぽか、いい気持ちで昼寝中のサンたん

  • 第249信 エネルギー不足?

    最近何かと用事が多く、畑仕事のまとまった時間がとりづらく、少々イライラ気味。 畑で、大地のエネルギー、宇宙のエネルギーを身体に浴びて、生かされている感を体感している私としては、畑仕事が進まないことだけでなく、エネルギー不足になっていそうで辛いのです。 聞くところによると空気中のエネルギーを皮膚から取り込んで体内で血液ができるようになれるとか。そうなると食べなくてもいいらしい。まるで仙人。霞を食べて生きている感じ。 これ、理想だなぁ。 いや、待て。食べなくてもいい・・・なんか寂しいじゃないですか? せっかくおいしい自然農育ちの野菜がたくさんあるのに。 特に大食いの私としては、いくらエネルギーは足りているといわれたところで、やっぱり口から食べてこその満足感。 てことは、凄いなぁ。あれだけ食べて、さらに大地と宇宙のエネルギーも浴びて・・・。 こりゃ、もっともっと働かないと申し訳ないかな? お行儀のいいサンたんはスティック状のおやつはちゃんと手に持っていただきます。

  • 第248信 まったり

    まったりした、実にまったりした元日の午後です。こんな元日何年ぶりだろう?というくらいまったりです。 朝寝もしたし。 実は昨夜飲み過ぎて二日酔い気味。なんと、暮れにひょっこり「獺祭」が手に入り、しかも磨きの違う3種類の1合瓶のセット。ということで、ミノリと二人で飲み比べをしてしまいました。最初の一口ずつは違いが少々はわかったけれど、あとはもう只々旨く、スイスイと二人で3本飲み干してしまいました。 「獺祭」、くださった貴方!ありがとう!!!お蔭で良い年越しができました。 そして、畑仕事は山のようにあるけれど、今日は畑には行かない。 なぜなら、これまた暮れにひょっこり、「ボランティア」をゲットしたから。気持ちに余裕ができて、元旦くらいはのんびりしよう、という気になりました。 「ボランティア」に来て下さる貴方!ありがとう!!!お蔭でのんびりした元日を過ごしています。 なんだかひょっこりいろんなものをゲットした暮れだったなぁ。 てなわけで、この後は読書でもしてみよう。読む予定の本が積読状態になってるし。 読書といえば、子供の頃は本当によく本を読む子でした。 小学校低学年の頃は父が買ってくる本を読んでた。祖父(父の父)の作った借金もあり、決してゆとりのある暮らしではなかったけれど、父は本だけはよく買い与えてくれた。 「美しいポリー」とか、「若草物語」とか、たくさん読んだけれど、のちにそれらは所謂ダイジェスト版というものだとわかり、それでは物足りなくなった小学校高学年で私が手を出したのが父の蔵書の中にあった「世界文学全集」(何故かこれを父が読んでいる姿はついぞ目にしたことはないが)。 「嵐が丘」、「ジェーン・エア」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「アンナ・カレーニナ」、「女の一生(これはモーパッサンとゾラの両方)」、「ナナ」、「赤と黒」、「チャタレイ夫人の恋人」、「大地」、「自負と偏見」、「風とともに去りぬ」・・・。 今、パッと思い出すだけでこれだけある。しかも、それぞれを一回だけ読んだわけではない。どれもほとんど複数回読んでいる。「嵐が丘」なんて、何回読んだかわからないくらい。 文字通り「寝食を忘れて」読み耽った。 小学校の頃、私はひどくぼんやりした子で、授業中もボーっと窓の外を眺めて先生の話を聞き洩らし、質問に頓珍漢な答えをしたりしていたが、多分、読んでる本の主人公になりきって、そのあとの展開を妄想中で授業どころではなかったのだろうと思う。要するに妄想っ子だった。 今思えば、何故その読書癖を貫かなかったかと悔やまれる。 えっ?もし、そうしていれば、一角の小説家くらいにはなれたとでもいうのか、って?いえいえとんでもない、そんなのは小説家に失礼千万。 ただ、もっともっと心豊かな青春を過ごせていたんじゃないか、と思うのです。 学校の勉強なんて何の役にもたってないけど、読んだ本から受けた感銘は今でも心に強く残っているから。 だいたい、学校で教えるあの点取り主義、競争主義のあの授業、あれ、なんとかならないの? 好きなことだけさせてくれたらよかったのに。 数学なんて特に普通の人には無用の長物だと思うけど。サイン・コサイン・タンジェント!(♪サイン・コサイン何になる?♪って歌があったなぁ)虫唾が走る。ベクトル?三角関数?宇宙飛行士にでもなるのかっ?! なら、国語は?と云えば、小説の一説だけを取り上げて「作者は何を云わんとしているのか?」なんて聞いてくる。たった一部読んだだけでそんなものわかるかっ!それより文豪の作品一つでも一年かけてでも読み通すほうがよっぽど良い授業ではないかしら。 なら、歴史は?と云えば、これまたウソを習ったとしか言いようがない。例えば、「縄文時代」。この時代は狩猟と採集生活で農耕は「弥生時代」になってから。と習った。でも、今では縄文の遺跡から次々に農耕跡が発掘されているではないか! 日本で一番古い書物として習ったのは「古事記」と「日本書紀」。これもウソ。本当はもっとずっとずっと以前から文字もあり、本もあったと云われている。要するに権威者と云われる人たちがそれを日本史と認めていないだけ。 要するに「読み書きそろばん」で良い。あとは勉強したい人だけに勉強させればいい。好きなだけ無料でいくらでも。 そういう学校だったなら私は迷わず本に耽り、妄想に耽り続けていられたはずで・・・。 ま、今でもこんなふうに「妄想」には耽り続けていますけどね(笑)。 今年もサンと散歩中の妄想も楽しみます。 そしてもちろん、畑での妄想も。