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丘の上だより

  • 第248信 まったり

    まったりした、実にまったりした元日の午後です。こんな元日何年ぶりだろう?というくらいまったりです。 朝寝もしたし。 実は昨夜飲み過ぎて二日酔い気味。なんと、暮れにひょっこり「獺祭」が手に入り、しかも磨きの違う3種類の1合瓶のセット。ということで、ミノリと二人で飲み比べをしてしまいました。最初の一口ずつは違いが少々はわかったけれど、あとはもう只々旨く、スイスイと二人で3本飲み干してしまいました。 「獺祭」、くださった貴方!ありがとう!!!お蔭で良い年越しができました。 そして、畑仕事は山のようにあるけれど、今日は畑には行かない。 なぜなら、これまた暮れにひょっこり、「ボランティア」をゲットしたから。気持ちに余裕ができて、元旦くらいはのんびりしよう、という気になりました。 「ボランティア」に来て下さる貴方!ありがとう!!!お蔭でのんびりした元日を過ごしています。 なんだかひょっこりいろんなものをゲットした暮れだったなぁ。 てなわけで、この後は読書でもしてみよう。読む予定の本が積読状態になってるし。 読書といえば、子供の頃は本当によく本を読む子でした。 小学校低学年の頃は父が買ってくる本を読んでた。祖父(父の父)の作った借金もあり、決してゆとりのある暮らしではなかったけれど、父は本だけはよく買い与えてくれた。 「美しいポリー」とか、「若草物語」とか、たくさん読んだけれど、のちにそれらは所謂ダイジェスト版というものだとわかり、それでは物足りなくなった小学校高学年で私が手を出したのが父の蔵書の中にあった「世界文学全集」(何故かこれを父が読んでいる姿はついぞ目にしたことはないが)。 「嵐が丘」、「ジェーン・エア」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「アンナ・カレーニナ」、「女の一生(これはモーパッサンとゾラの両方)」、「ナナ」、「赤と黒」、「チャタレイ夫人の恋人」、「大地」、「自負と偏見」、「風とともに去りぬ」・・・。 今、パッと思い出すだけでこれだけある。しかも、それぞれを一回だけ読んだわけではない。どれもほとんど複数回読んでいる。「嵐が丘」なんて、何回読んだかわからないくらい。 文字通り「寝食を忘れて」読み耽った。 小学校の頃、私はひどくぼんやりした子で、授業中もボーっと窓の外を眺めて先生の話を聞き洩らし、質問に頓珍漢な答えをしたりしていたが、多分、読んでる本の主人公になりきって、そのあとの展開を妄想中で授業どころではなかったのだろうと思う。要するに妄想っ子だった。 今思えば、何故その読書癖を貫かなかったかと悔やまれる。 えっ?もし、そうしていれば、一角の小説家くらいにはなれたとでもいうのか、って?いえいえとんでもない、そんなのは小説家に失礼千万。 ただ、もっともっと心豊かな青春を過ごせていたんじゃないか、と思うのです。 学校の勉強なんて何の役にもたってないけど、読んだ本から受けた感銘は今でも心に強く残っているから。 だいたい、学校で教えるあの点取り主義、競争主義のあの授業、あれ、なんとかならないの? 好きなことだけさせてくれたらよかったのに。 数学なんて特に普通の人には無用の長物だと思うけど。サイン・コサイン・タンジェント!(♪サイン・コサイン何になる?♪って歌があったなぁ)虫唾が走る。ベクトル?三角関数?宇宙飛行士にでもなるのかっ?! なら、国語は?と云えば、小説の一説だけを取り上げて「作者は何を云わんとしているのか?」なんて聞いてくる。たった一部読んだだけでそんなものわかるかっ!それより文豪の作品一つでも一年かけてでも読み通すほうがよっぽど良い授業ではないかしら。 なら、歴史は?と云えば、これまたウソを習ったとしか言いようがない。例えば、「縄文時代」。この時代は狩猟と採集生活で農耕は「弥生時代」になってから。と習った。でも、今では縄文の遺跡から次々に農耕跡が発掘されているではないか! 日本で一番古い書物として習ったのは「古事記」と「日本書紀」。これもウソ。本当はもっとずっとずっと以前から文字もあり、本もあったと云われている。要するに権威者と云われる人たちがそれを日本史と認めていないだけ。 要するに「読み書きそろばん」で良い。あとは勉強したい人だけに勉強させればいい。好きなだけ無料でいくらでも。 そういう学校だったなら私は迷わず本に耽り、妄想に耽り続けていられたはずで・・・。 ま、今でもこんなふうに「妄想」には耽り続けていますけどね(笑)。 今年もサンと散歩中の妄想も楽しみます。 そしてもちろん、畑での妄想も。

  • 第247信 畑にお預け

    「怒りの気持ちやイライラするときは畑に行かない。畑に失礼だから。」 最近どこかで有機農業者の方のそんな言葉を目にした。 偉いなぁ。それに比べ私は畑に失礼なことばかりしているなぁ。 どんな気分のときでも畑に行く。イライラしているときや怒っているときはなおさら畑に行く。 楽しい気分のときはますます楽しくなって鼻唄混じりで帰り、イライラや怒りはちゃっかり畑にお預けしてくる。 畑はそんな私の我儘を全て受け入れてくれる。 いつもいつも本当に有難う。 冬日和のサンたん。 ミノリシェフはなら「なまけるなっ!」と叩き起こすところだが、やさしい私はそんなことしない。 そっと寝かせておいてあげるのです。

  • 第246信 代わってあげない

    下の写真はこの前の長く居座った台風、27号だったかな?その台風の前と後の「ゆるぎ赤蕪」です。 台風前の晴れた日   台風の後、まだ雨と風が残っている日。   同じ種類の蕪なのに曇った日の方が赤色が少し鮮やかでしょう。 風雨の中でこれを見たときドキッとして涙が出そうになるほど、綺麗だと思いました。 こんな小さなことに感激できるこの暮らしって本当に有り難い。 何処かの誰かが「10億円あげるから代わって。」と頼んできても、絶対に代わってあげない! えっ!そんな物好きいない、って? いや、分かりませんよ。もしも、そういう人が出てきたら、きっぱりお断りして、こう言って諭してあげる。 「本当に大切なものはお金では買えないんだよ。」って。 きゃーっ!かっこいい!   ・・・なんていうアホな白昼夢を見ながら相変わらず畑籠りの日々。 そろそろ外界が恋しくなってきました。 ToyToyであっちゃんの落語聞きながら地ビール飲みたいなぁ・・・。

  • 第248信 まったり

    まったりした、実にまったりした元日の午後です。こんな元日何年ぶりだろう?というくらいまったりです。 朝寝もしたし。 実は昨夜飲み過ぎて二日酔い気味。なんと、暮れにひょっこり「獺祭」が手に入り、しかも磨きの違う3種類の1合瓶のセット。ということで、ミノリと二人で飲み比べをしてしまいました。最初の一口ずつは違いが少々はわかったけれど、あとはもう只々旨く、スイスイと二人で3本飲み干してしまいました。 「獺祭」、くださった貴方!ありがとう!!!お蔭で良い年越しができました。 そして、畑仕事は山のようにあるけれど、今日は畑には行かない。 なぜなら、これまた暮れにひょっこり、「ボランティア」をゲットしたから。気持ちに余裕ができて、元旦くらいはのんびりしよう、という気になりました。 「ボランティア」に来て下さる貴方!ありがとう!!!お蔭でのんびりした元日を過ごしています。 なんだかひょっこりいろんなものをゲットした暮れだったなぁ。 てなわけで、この後は読書でもしてみよう。読む予定の本が積読状態になってるし。 読書といえば、子供の頃は本当によく本を読む子でした。 小学校低学年の頃は父が買ってくる本を読んでた。祖父(父の父)の作った借金もあり、決してゆとりのある暮らしではなかったけれど、父は本だけはよく買い与えてくれた。 「美しいポリー」とか、「若草物語」とか、たくさん読んだけれど、のちにそれらは所謂ダイジェスト版というものだとわかり、それでは物足りなくなった小学校高学年で私が手を出したのが父の蔵書の中にあった「世界文学全集」(何故かこれを父が読んでいる姿はついぞ目にしたことはないが)。 「嵐が丘」、「ジェーン・エア」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「アンナ・カレーニナ」、「女の一生(これはモーパッサンとゾラの両方)」、「ナナ」、「赤と黒」、「チャタレイ夫人の恋人」、「大地」、「自負と偏見」、「風とともに去りぬ」・・・。 今、パッと思い出すだけでこれだけある。しかも、それぞれを一回だけ読んだわけではない。どれもほとんど複数回読んでいる。「嵐が丘」なんて、何回読んだかわからないくらい。 文字通り「寝食を忘れて」読み耽った。 小学校の頃、私はひどくぼんやりした子で、授業中もボーっと窓の外を眺めて先生の話を聞き洩らし、質問に頓珍漢な答えをしたりしていたが、多分、読んでる本の主人公になりきって、そのあとの展開を妄想中で授業どころではなかったのだろうと思う。要するに妄想っ子だった。 今思えば、何故その読書癖を貫かなかったかと悔やまれる。 えっ?もし、そうしていれば、一角の小説家くらいにはなれたとでもいうのか、って?いえいえとんでもない、そんなのは小説家に失礼千万。 ただ、もっともっと心豊かな青春を過ごせていたんじゃないか、と思うのです。 学校の勉強なんて何の役にもたってないけど、読んだ本から受けた感銘は今でも心に強く残っているから。 だいたい、学校で教えるあの点取り主義、競争主義のあの授業、あれ、なんとかならないの? 好きなことだけさせてくれたらよかったのに。 数学なんて特に普通の人には無用の長物だと思うけど。サイン・コサイン・タンジェント!(♪サイン・コサイン何になる?♪って歌があったなぁ)虫唾が走る。ベクトル?三角関数?宇宙飛行士にでもなるのかっ?! なら、国語は?と云えば、小説の一説だけを取り上げて「作者は何を云わんとしているのか?」なんて聞いてくる。たった一部読んだだけでそんなものわかるかっ!それより文豪の作品一つでも一年かけてでも読み通すほうがよっぽど良い授業ではないかしら。 なら、歴史は?と云えば、これまたウソを習ったとしか言いようがない。例えば、「縄文時代」。この時代は狩猟と採集生活で農耕は「弥生時代」になってから。と習った。でも、今では縄文の遺跡から次々に農耕跡が発掘されているではないか! 日本で一番古い書物として習ったのは「古事記」と「日本書紀」。これもウソ。本当はもっとずっとずっと以前から文字もあり、本もあったと云われている。要するに権威者と云われる人たちがそれを日本史と認めていないだけ。 要するに「読み書きそろばん」で良い。あとは勉強したい人だけに勉強させればいい。好きなだけ無料でいくらでも。 そういう学校だったなら私は迷わず本に耽り、妄想に耽り続けていられたはずで・・・。 ま、今でもこんなふうに「妄想」には耽り続けていますけどね(笑)。 今年もサンと散歩中の妄想も楽しみます。 そしてもちろん、畑での妄想も。

  • 第247信 畑にお預け

    「怒りの気持ちやイライラするときは畑に行かない。畑に失礼だから。」 最近どこかで有機農業者の方のそんな言葉を目にした。 偉いなぁ。それに比べ私は畑に失礼なことばかりしているなぁ。 どんな気分のときでも畑に行く。イライラしているときや怒っているときはなおさら畑に行く。 楽しい気分のときはますます楽しくなって鼻唄混じりで帰り、イライラや怒りはちゃっかり畑にお預けしてくる。 畑はそんな私の我儘を全て受け入れてくれる。 いつもいつも本当に有難う。 冬日和のサンたん。 ミノリシェフはなら「なまけるなっ!」と叩き起こすところだが、やさしい私はそんなことしない。 そっと寝かせておいてあげるのです。

  • 第246信 代わってあげない

    下の写真はこの前の長く居座った台風、27号だったかな?その台風の前と後の「ゆるぎ赤蕪」です。 台風前の晴れた日   台風の後、まだ雨と風が残っている日。   同じ種類の蕪なのに曇った日の方が赤色が少し鮮やかでしょう。 風雨の中でこれを見たときドキッとして涙が出そうになるほど、綺麗だと思いました。 こんな小さなことに感激できるこの暮らしって本当に有り難い。 何処かの誰かが「10億円あげるから代わって。」と頼んできても、絶対に代わってあげない! えっ!そんな物好きいない、って? いや、分かりませんよ。もしも、そういう人が出てきたら、きっぱりお断りして、こう言って諭してあげる。 「本当に大切なものはお金では買えないんだよ。」って。 きゃーっ!かっこいい!   ・・・なんていうアホな白昼夢を見ながら相変わらず畑籠りの日々。 そろそろ外界が恋しくなってきました。 ToyToyであっちゃんの落語聞きながら地ビール飲みたいなぁ・・・。