丘の上だより

第233信 自分の命は自分で・・・

子宮頸がんワクチンの副作用についてやっと騒がれはじめ、「自分の命や健康は自分で守る」しかない、ことをつくづく実感しています。

そのために私が心がけていることは・・・

1.政府が勧めることは疑ってかかる
2.ワクチン接種はしない
3.健康診断や集団検診は受けない
4.救急の場合を除き医療機関は受診しない
5.薬は飲まない
6.添加物の入った食品は摂らない
7.調理に電子レンジは使わない
etc.etc.

私はこうやって自分を守れるからいいですけどね、未成年の子供のいる親御さん方、子供さんのことも自分のこと以上に「自分の命は自分で守る」を実行しなくちゃいけない時代です。
どうぞ、ワクチン接種ひとつにも目を開いて、よく考えて欲しいと心底願います。

http://kokutaigoji.com/teigen/pdf/220723HPV_vaccine_PDF.pdf

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ネットで見つけました。是非、読んでみてください。

第232信 “めずらしくカッコいいこと言ってみました”

人生って、結局は「何のために生きるのか?」を探す旅。
そして、「生きている」のではなく、「生かされている」のだと気付いた私は思う。
「何のために生きるのか?」ではなく、「何のために生かされているのか?」を探せば、案外早くそこにたどり着くかも。と。

なぁーんて、カッコ良すぎですが。

40歳になったころ突然「楽しいことしかしない」ことに決め、そしたらどうやら流れに乗っかったみたいで、自然と今の暮らしにたどり着き、今では「これをするために生かされている」と感じています。

そしてときどき思うのです。こんな楽しい暮らし、独り占めにしてていいのかなぁ?って。
他の人たちがやってるように、私もこの楽しい暮らしを広める活動をすべきなのではないかな?って。

でも、すぐに思い直します。いやいや、そんな活動は身の丈に余る。そういうことは龍や地底人や宇宙人に会った人や、宇宙船に乗せてもらった人たちにお任せしよう。そして私は今の暮らしをとことん楽しもう!って。

ただ、これだけは言いたい、伝えたい気がします。心の中の扉です。その扉の向こうをちょっと覗いてみるだけです。それだけで、「何のために生かされているのか?」、それが見えるよ、って。

なんの不安もない、汗を流して安心でおいしい食べ物を育てる喜びの日々。そして、それが地球を豊かにすることにつながっています。
「何のために生かされているのか?」・・・この地球に生きているものは全て地球を豊かにするために生かされているのですから。

なぁーんて、さんざんカッコ良いこと言っておきながら、実はちょっとした心配事が。
それは近い将来ダンナの介護が始まるんじゃないかな、ってこと。(私と正反対で動くことが大嫌いらしく、どうやら認知症路線まっしぐらのダンナです)
そうなったらどんな形にせよ、私は私の持てる人類愛の全てを結集して介護にあたらねば。
それをし残して死んでしまうと私の「業」を残してしまうことになり、転生してもまたその「業」に悩まされそうだから。

と、ここまで考えたとき、久々にアシタカの声が・・・「ミチコさん、転生するときの心配までせんでいいっちゃない? ミチコさんいつも言いようやない、過去を振り返らず、明日を思い煩わず、只今現在を精一杯」って。120歳でピンピンコロリを目指しとっちゃろ? 『転生』っていったいいつのこっちゃねん?!」

ハハッ! おっしゃるとおりでございます。

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サンはアシタカが言うようなこと何も言わない。
その存在だけで癒しです。
「何のために生かされているのか?」
サンは人を癒すために生きているみたいなワンコです。

第二百三十一信 ”気付かせてもらったこと”

畑でふと気づいた。これは私の「業(ごう)」なんだ、と。

「業」というと仏教用語で「前世のむくい」というような意味らしいけど、それだと暗いイメージなので、私は勝手に「生まれたときに神様が与えたその人が人生で果たすべき役割、仕事」というふうに解釈しているのですが、そういう意味で自然農の仕事は私の「業」なのだと気付いたのです。
私はこれをするためにこの世に生を受けて、今も生かされているのです。
私の身の丈に応じた私の「業」は僅かなりとも地球のためになっているはず。ああ、そういう「業」を与えられて良かった!
そして、その「業」は私だけのための「業」なわけで、だれかに継いでもらおう、なんていうのはあり得ないことなんですよね。
先日、健康道場の吉丸先生とお話しさせていただいた折、吉丸先生が、「この私のやっていることは私一代限り!」ときっぱりおっしゃって、その言葉が妙に心に引っかかっていたけれど、今日、畑で「ああ、あれはこういうことなんだ」と得心しました。
心のどこかでこの自然農の畑を息子に継いで欲しい、という思いがあったけれど、自分の「業」を人に押し付けるなんてことはできません。
地球の反対側で今もプー太郎の息子にも彼の「業」があり、無意識のうちにそれを探す旅の今まさに最中なわけで。そういう風に人はみな、知らず知らず自分の「業」を探しているのでしょうね。
それを見つけた私は幸せ者です。

「心ひとつのおきどころ」・・・吉丸先生のお言葉が胸に響きました。
私も私の「業」に心を定めて、ぶれることなく、身の丈に応じた自分の役割を果たして行こうと思います。

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ぶれずに「業」を果たします・・・でも、お手伝いは大歓迎!
今日は弟(樹乃里)に畑の雑木の伐採をお願い。
さすが庭師。足場の悪いところにもスイスイ入っていって、まるでハムでも切るようにチェーンソーで雑木を切ってくれました。