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  • イケメン助っ人登場!

    自然農での営農を目指すコージくん、今日から週一程度勉強を兼ねてお手伝いにきてくれます(嬉)。 そのイケメンぶりを間近で見たい、という方、どうぞミチコ・ファームにお手伝いにきてね(笑)。 日照不足をよくぞ乗り越えました! 「パプリカ」 「ツルムラサキ」 冬野菜第一陣発芽中 「紅芯大根」 「白菜(松島2号)」 「博多据わり蕪」

  • 対馬・・・その6

    対馬の特産物 石の瓦や硯石 薄くはがれる石が採れます。 対馬は太古標高の高い陸地だったそうですが、海に沈み、そのとき地上にあった土が水圧で薄くはがれる石になり、その後、隆起して地上に現れた部分から出土するそうです。 これは「万関」のそばの休憩所。屋根が石を重ねてできています。 江戸時代は民家もほとんど石の屋根だったそうで、今でも「豆酘(つつ)地区」には残っているそうです。「豆酘(つつ)地区」にはほかにも興味深いものがありそうです。 これは次回は是非とも「豆酘(つつ)地区」に行かねば! そして、「真珠」 こちらは真珠の養殖場 写真では確認できませんが、「真珠御殿」もありました。 バブルのころは相当潤ったらしいです。 ほかにもいろんな特産物が・・・ 日本ミツバチの蜂蜜・・一般家庭でも巣箱を設置して自家用に生産しているそうです。 椎茸・・こちらも一般家庭でも生産。良質の干椎茸が採れるそうです。 云わずと知れた「海産物」・・なかでも対馬でしか採れない「白藻」という海藻がおいしい。 ヒジキ塩・・ヒジキを炊き込んだ藻塩。対馬で使われているのはほとんどこのヒジキ塩。 こんなふうに生活に必要な食品もほとんど自給できているせいか、対馬の方々はおっとり屋さん。 あまり、商売っ気がなく、ゆったりと親切です。 いまだに対馬の余韻に浸っています。 またきっと行きたいです。 一泊二日の今回では食べ損ねたおいしいものも多々ありますし。 でも、その前にちょっとばかり厳しい現実と向き合う必要がありそうで・・・。 それでは、今回の長々しい対馬旅行記にお付き合い、ありがとうございました。

  • 対馬・・・その5

    対馬は「上対馬」と「下対馬」の二つの大きな島からなっていますが、実はもとは一つの島でした。 江戸時代に島の中央の狭いところを手作業で掘削して二つの島に分け、船が東西に通れるようになりました。 下の地図の現在地の近く「万関橋」がそれです。 「万関」にかかる赤い橋 「万関」から見た海 潮の様子をみて引き潮のときに手作業で掘削しました。 人の力って凄いですね。

  • イケメン助っ人登場!

    自然農での営農を目指すコージくん、今日から週一程度勉強を兼ねてお手伝いにきてくれます(嬉)。 そのイケメンぶりを間近で見たい、という方、どうぞミチコ・ファームにお手伝いにきてね(笑)。 日照不足をよくぞ乗り越えました! 「パプリカ」 「ツルムラサキ」 冬野菜第一陣発芽中 「紅芯大根」 「白菜(松島2号)」 「博多据わり蕪」

  • 対馬・・・その6

    対馬の特産物 石の瓦や硯石 薄くはがれる石が採れます。 対馬は太古標高の高い陸地だったそうですが、海に沈み、そのとき地上にあった土が水圧で薄くはがれる石になり、その後、隆起して地上に現れた部分から出土するそうです。 これは「万関」のそばの休憩所。屋根が石を重ねてできています。 江戸時代は民家もほとんど石の屋根だったそうで、今でも「豆酘(つつ)地区」には残っているそうです。「豆酘(つつ)地区」にはほかにも興味深いものがありそうです。 これは次回は是非とも「豆酘(つつ)地区」に行かねば! そして、「真珠」 こちらは真珠の養殖場 写真では確認できませんが、「真珠御殿」もありました。 バブルのころは相当潤ったらしいです。 ほかにもいろんな特産物が・・・ 日本ミツバチの蜂蜜・・一般家庭でも巣箱を設置して自家用に生産しているそうです。 椎茸・・こちらも一般家庭でも生産。良質の干椎茸が採れるそうです。 云わずと知れた「海産物」・・なかでも対馬でしか採れない「白藻」という海藻がおいしい。 ヒジキ塩・・ヒジキを炊き込んだ藻塩。対馬で使われているのはほとんどこのヒジキ塩。 こんなふうに生活に必要な食品もほとんど自給できているせいか、対馬の方々はおっとり屋さん。 あまり、商売っ気がなく、ゆったりと親切です。 いまだに対馬の余韻に浸っています。 またきっと行きたいです。 一泊二日の今回では食べ損ねたおいしいものも多々ありますし。 でも、その前にちょっとばかり厳しい現実と向き合う必要がありそうで・・・。 それでは、今回の長々しい対馬旅行記にお付き合い、ありがとうございました。

  • 対馬・・・その5

    対馬は「上対馬」と「下対馬」の二つの大きな島からなっていますが、実はもとは一つの島でした。 江戸時代に島の中央の狭いところを手作業で掘削して二つの島に分け、船が東西に通れるようになりました。 下の地図の現在地の近く「万関橋」がそれです。 「万関」にかかる赤い橋 「万関」から見た海 潮の様子をみて引き潮のときに手作業で掘削しました。 人の力って凄いですね。