「団結してコロナと戦おう!」と言っているのを聞くと、どうしても戦時中を連想してしまう。 「日本人一つになって鬼畜米英と戦おう!」といって戦争に突入していった。 また言いますが、私は戦後生まれなのですが、どうしてもリアルに連想してしまい、恐怖に駆られる。ひょっとしたら前世は戦前、戦中を生きていたのかもしれません。 人が集まらないようにと公園の花樹は刈り取られ、遊具は使えなくされ、これって「緊急事態」の元コロナ対策に名を借りて「集会の自由」を奪われているんじゃないかな?・・・と非国民の私は思ってしまう。 団結すべきは今ではなく、分離され管理される世界が訪れるかもしれない「コロナ収束後」ではないかしら? 巷では宅配のドライバーさんに消毒液を吹きかけたり、おつりを手渡しされたと喧嘩になったり・・・。 今、この騒動の陰で本当は何が起こっているのか?どんな世の中になっていくのか? 先日の誕生日、そんなこんなの不安に取りつかれ飲み込まれそうになっていました。 そんなとき、夕方ブラジルのカオリンからメールで送られてきたサイトのアドレス。 この記事を読んで不安が解消、「過去を振り返らず、明日を思い煩わず、只今現在を精一杯楽しむ」という座右の銘をコロナにとらわれるあまりどこかに置き忘れていたな、とハッとしました。 畑の一番上にある大きな松の木、鱗のような木肌をしているので龍神松と呼んでいる松の木にお願いして、毎日ブラジルの家族に愛を届けています。大木は世界中の情報を持っているそうですから。 カオリンからメールが届いたとき、向こうからも愛が届いたと感じました。 分離され、管理される世の中になりそうで不安でしたが、愛は分離されることなく距離を超えて届くのですね。 「愛」という言葉を使うのはなんだか気恥ずかしくて、でも今こそ使いたい。 コロナ収束後に訪れる世界は以前夢中になってみた映画「マトリックス」の世界かもしれないけれど、もしかしたら、人間が自然と寄り添い、全ての生き物と愛し合い、一つになれる心を取り戻す始まりになるのかもしれないとも感じています。 どうかそうでありますように! 66歳の誕生日の記念に庭に植えた二本の樹 「ナツメ」・・・いつもファームステイにお出でになるYさんのおすすめ 「目薬の木」・・・白内障対策に 楓科、紅葉するらしい ファームステイにおいでになられたSさんと生姜を植える 全き平安の日々が続いている こんな日々が続きますように コロナ騒動の不安の渦に飲み込まれないよう一歩離れて俯瞰することを心がけよう
コロナ騒動の中、パニックになりやすい私にしては冷静に落ち着いて自分を見失うことなく過ごせているのは、自然農のお蔭です。 川口由一さんの言われる「この世界に生きとし生けるもの全ては故あっての存在である。そして、あるものをあるがままに受け入れること」という自然農の心を拠り所として暮らしています。 そんな風に暮らしていると「コロナウィルスとの戦いだ!」という国民を団結させるためのスローガンみたいになってる言葉が、戦時中に叫ばれた「一億総火の玉」とか「欲しがりません、勝つまでは」とかいう言葉を思いださせて戦慄を感じます。私戦後生まれで戦争体験はないのですけどね。 そして、みんながコロナ騒動にばかり心を奪われている間にいつの間にやら有り難くないことがひっそりと進行しているのではないか、という危惧も。 いままでも、何かの騒動の陰でいつの間にか、エッ!というような法律が成立してたりしたし。 コロナに罹患するという不安よりもそういった不安や危惧の方が強い。 目くらましに必要以上に不安を煽られているような・・・。 でも、不安は不安を呼ぶだけで、免疫も下がる、ということでそんな時こそ畑へ 十数年以上ぶりにリンゴの樹が花盛り 「奇跡の林檎」が実るかな? 「山ウド」 「自然から頂戴しろ! 自然は飢えない程度には喰わせてくれる」 ・・・ハイ、そうしております 若い人が重症化することが増えているというけれど、重症化するにはそれなりの理由があるのでは? そもそも今の若い人 外で元気に遊ぶこともなく家でゲーム漬け、お菓子やファーストフードで育って、そういう暮らしで大人になった人たちが病気に負けない強い心身を持っていると思えないのだけど。 近視眼的にウイルスと戦うのではなく、暮らしそのものを見直す時ではないのかな? 今みたいにウィルスを敵にして、「やれ、消毒だ!除菌だ!治療薬の開発だ!」と言っていたのでは耐性菌を生むだけで、このコロナ危機を乗り切ってもまた新たなコロナ危機がやってくるだけではないのでしょうか? この危機は私たちのこれまでの暮らしぶりが招いたものだと思う。 この危機を良い機会ととらえ、薬や医療に頼らず自分の身体は自分で守れる、心身を強くする暮らし方にシフトしていく方法を考えたい。 庭の八重桜が満開 不安や恐れではなく安心の中で見上げたかった なんていって、戦うことの嫌いな私が 案外、ウィルスではなく ワクチンと戦っていたりして・笑
「コロナ菌感染」と「コロナワクチン接種」 どちらを選ぶ? 私は迷わず「コロナ菌感染」。 コロナってそんな怖い菌じゃなさそうだし。 コロナ菌とならみんながやらなくなったハグしてキスして一緒に寝てもいいけど、コロナワクチンは願い下げ。 40代以降どんな病気も医者にかからず、薬を飲まず、で治してきた。 インフルエンザらしきものにも2度ほど罹ったけれど、40℃近い熱と全身の痛みと咳に喘ぎながら家で寝てたら3日で治った。家族にうつすこともなく。 治ったあとの爽快感! 確かな免疫を獲得し、がん細胞が消えた気がした。 帯状疱疹もアトピー性皮膚炎もそうやって「痛み」と「掻痒」に耐えぬいて治した・・・自慢気!(笑) かたや「ワクチン」。 なにを今更!そんな怪しげなもの! 野菜はもちろん自然農の安心安全なものを食べ、肉と乳製品と養殖魚(抗生剤などの薬品を使用している)をざけ、衣類は天然素材のものを身に着け、etc. こうやってできうる限り化学物質を遠ざけて「きれいな」心身を保ってきたのです。 この場合の「きれい」は「除菌」とは別物であることも大事な要素なのですが。 アベさんがコロナ収束は年末ワクチンが完成して接種が始まって以降、と言うのを聞くに及んで、ひょっとして私にワクチン接種を強制するためにコロナ不安を煽り、収束を遅らせていない?実はもう収束してたりして?なんて思った。 自意識過剰! 「緊急事態宣言」中につき強制接種を迫られたらどうする? 「私、終活中なんです。もうじきです。御手を煩わせるまでもありませんから。」 ・・・と、丁重にお断りしよう。 さてさて、筍シーズン真っ最中! 「壇蜜」じゃない、「蜂蜜」でもない、「三密」ですか! そんな「三密」でないここで ヤスヨさんご一家も夢中で掘り掘り 姉妹で頑張る! ママと頑張る! 一人で頑張る! パパも頑張る! たつしクンも頑張ったよ!
「団結してコロナと戦おう!」と言っているのを聞くと、どうしても戦時中を連想してしまう。 「日本人一つになって鬼畜米英と戦おう!」といって戦争に突入していった。 また言いますが、私は戦後生まれなのですが、どうしてもリアルに連想してしまい、恐怖に駆られる。ひょっとしたら前世は戦前、戦中を生きていたのかもしれません。 人が集まらないようにと公園の花樹は刈り取られ、遊具は使えなくされ、これって「緊急事態」の元コロナ対策に名を借りて「集会の自由」を奪われているんじゃないかな?・・・と非国民の私は思ってしまう。 団結すべきは今ではなく、分離され管理される世界が訪れるかもしれない「コロナ収束後」ではないかしら? 巷では宅配のドライバーさんに消毒液を吹きかけたり、おつりを手渡しされたと喧嘩になったり・・・。 今、この騒動の陰で本当は何が起こっているのか?どんな世の中になっていくのか? 先日の誕生日、そんなこんなの不安に取りつかれ飲み込まれそうになっていました。 そんなとき、夕方ブラジルのカオリンからメールで送られてきたサイトのアドレス。 この記事を読んで不安が解消、「過去を振り返らず、明日を思い煩わず、只今現在を精一杯楽しむ」という座右の銘をコロナにとらわれるあまりどこかに置き忘れていたな、とハッとしました。 畑の一番上にある大きな松の木、鱗のような木肌をしているので龍神松と呼んでいる松の木にお願いして、毎日ブラジルの家族に愛を届けています。大木は世界中の情報を持っているそうですから。 カオリンからメールが届いたとき、向こうからも愛が届いたと感じました。 分離され、管理される世の中になりそうで不安でしたが、愛は分離されることなく距離を超えて届くのですね。 「愛」という言葉を使うのはなんだか気恥ずかしくて、でも今こそ使いたい。 コロナ収束後に訪れる世界は以前夢中になってみた映画「マトリックス」の世界かもしれないけれど、もしかしたら、人間が自然と寄り添い、全ての生き物と愛し合い、一つになれる心を取り戻す始まりになるのかもしれないとも感じています。 どうかそうでありますように! 66歳の誕生日の記念に庭に植えた二本の樹 「ナツメ」・・・いつもファームステイにお出でになるYさんのおすすめ 「目薬の木」・・・白内障対策に 楓科、紅葉するらしい ファームステイにおいでになられたSさんと生姜を植える 全き平安の日々が続いている こんな日々が続きますように コロナ騒動の不安の渦に飲み込まれないよう一歩離れて俯瞰することを心がけよう
コロナ騒動の中、パニックになりやすい私にしては冷静に落ち着いて自分を見失うことなく過ごせているのは、自然農のお蔭です。 川口由一さんの言われる「この世界に生きとし生けるもの全ては故あっての存在である。そして、あるものをあるがままに受け入れること」という自然農の心を拠り所として暮らしています。 そんな風に暮らしていると「コロナウィルスとの戦いだ!」という国民を団結させるためのスローガンみたいになってる言葉が、戦時中に叫ばれた「一億総火の玉」とか「欲しがりません、勝つまでは」とかいう言葉を思いださせて戦慄を感じます。私戦後生まれで戦争体験はないのですけどね。 そして、みんながコロナ騒動にばかり心を奪われている間にいつの間にやら有り難くないことがひっそりと進行しているのではないか、という危惧も。 いままでも、何かの騒動の陰でいつの間にか、エッ!というような法律が成立してたりしたし。 コロナに罹患するという不安よりもそういった不安や危惧の方が強い。 目くらましに必要以上に不安を煽られているような・・・。 でも、不安は不安を呼ぶだけで、免疫も下がる、ということでそんな時こそ畑へ 十数年以上ぶりにリンゴの樹が花盛り 「奇跡の林檎」が実るかな? 「山ウド」 「自然から頂戴しろ! 自然は飢えない程度には喰わせてくれる」 ・・・ハイ、そうしております 若い人が重症化することが増えているというけれど、重症化するにはそれなりの理由があるのでは? そもそも今の若い人 外で元気に遊ぶこともなく家でゲーム漬け、お菓子やファーストフードで育って、そういう暮らしで大人になった人たちが病気に負けない強い心身を持っていると思えないのだけど。 近視眼的にウイルスと戦うのではなく、暮らしそのものを見直す時ではないのかな? 今みたいにウィルスを敵にして、「やれ、消毒だ!除菌だ!治療薬の開発だ!」と言っていたのでは耐性菌を生むだけで、このコロナ危機を乗り切ってもまた新たなコロナ危機がやってくるだけではないのでしょうか? この危機は私たちのこれまでの暮らしぶりが招いたものだと思う。 この危機を良い機会ととらえ、薬や医療に頼らず自分の身体は自分で守れる、心身を強くする暮らし方にシフトしていく方法を考えたい。 庭の八重桜が満開 不安や恐れではなく安心の中で見上げたかった なんていって、戦うことの嫌いな私が 案外、ウィルスではなく ワクチンと戦っていたりして・笑
「コロナ菌感染」と「コロナワクチン接種」 どちらを選ぶ? 私は迷わず「コロナ菌感染」。 コロナってそんな怖い菌じゃなさそうだし。 コロナ菌とならみんながやらなくなったハグしてキスして一緒に寝てもいいけど、コロナワクチンは願い下げ。 40代以降どんな病気も医者にかからず、薬を飲まず、で治してきた。 インフルエンザらしきものにも2度ほど罹ったけれど、40℃近い熱と全身の痛みと咳に喘ぎながら家で寝てたら3日で治った。家族にうつすこともなく。 治ったあとの爽快感! 確かな免疫を獲得し、がん細胞が消えた気がした。 帯状疱疹もアトピー性皮膚炎もそうやって「痛み」と「掻痒」に耐えぬいて治した・・・自慢気!(笑) かたや「ワクチン」。 なにを今更!そんな怪しげなもの! 野菜はもちろん自然農の安心安全なものを食べ、肉と乳製品と養殖魚(抗生剤などの薬品を使用している)をざけ、衣類は天然素材のものを身に着け、etc. こうやってできうる限り化学物質を遠ざけて「きれいな」心身を保ってきたのです。 この場合の「きれい」は「除菌」とは別物であることも大事な要素なのですが。 アベさんがコロナ収束は年末ワクチンが完成して接種が始まって以降、と言うのを聞くに及んで、ひょっとして私にワクチン接種を強制するためにコロナ不安を煽り、収束を遅らせていない?実はもう収束してたりして?なんて思った。 自意識過剰! 「緊急事態宣言」中につき強制接種を迫られたらどうする? 「私、終活中なんです。もうじきです。御手を煩わせるまでもありませんから。」 ・・・と、丁重にお断りしよう。 さてさて、筍シーズン真っ最中! 「壇蜜」じゃない、「蜂蜜」でもない、「三密」ですか! そんな「三密」でないここで ヤスヨさんご一家も夢中で掘り掘り 姉妹で頑張る! ママと頑張る! 一人で頑張る! パパも頑張る! たつしクンも頑張ったよ!